超越論的人生論―いかに生くべきかを問う人生論ではなく

人生いかに生きるべきかを問うのではなく、なぜ私の人生が始まっているのかを問う人生論。

哲学メモ

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哲学メモ150

哲学メモ150

心に実体はあるか
このことを考えてみるために次のような思考実験を考えてみた。ぜひ自分のこととして考えてみてもらいたい。思考実験はいくつかのパターンがあるが、あなた自身に当てはまる問題で考えてもらいたい。

思考実験1
身体は女性、性自認も女性(自分は女性だと思っている)で、性愛の対象は男性である人向けの思考実験問題です。

今あなたには心を寄せている男性がいて、自分の気持ちを告白しようかどうか迷っています。そんなとき相手の男性のほうからこう告げられました。「私はあなたのことが好きです。でも私は心は女性なんです。女性としてあなたが好きなんです。そんな私とでもつきあってくれますか」
さあ、あなたはどうするか?

思考実験2
身体は男性、性自認も男性で、性愛の対象は女性である人に対する問題です。

今あなたには心を寄せている女性がいて、自分の気持ちを告白しようかどうか迷っています。そんなとき相手の女性のほうからこう告げられました。「私はあなたのことが好きです。でも私は心は男性なんです。男性としてあなたが好きなんです。そんな私とでもつきあってくれますか」
さあ、あなたはどうするか?

思考実験3
身体は女性、性自認も女性で、性愛の対象も女性である人向けの思考実験問題です。

今あなたには心を寄せている女性がいて、自分の気持ちを告白しようかどうか迷っています。そんなとき相手の女性のほうからこう告げられました。「私はあなたのことが好きです。でも私は心は男性なんです。男性としてあなたが好きなんです。そんな私とでもつきあってくれますか」
さあ、あなたはどうするか?

思考実験4
身体は男性、性自認も男性で、性愛の対象も男性である人に対する問題です。

今あなたには心を寄せている男性がいて、自分の気持ちを告白しようかどうか迷っています。そんなとき相手の男性のほうからこう告げられました。「私はあなたのことが好きです。でも私は心は女性なんです。女性としてあなたが好きなんです。そんな私とでもつきあってくれますか」
さあ、あなたはどうするか?

この問題を考えることで何がわかるか。恋愛においてあなたは心と体のどちらを重要視するかということ。通常はその両方だと答えることが可能だが、この思考実験ではそれができない。さあ、どっちだ? 心か体か。
蛇足ながら付け加えると、もしあなたが相手の身体を重視するなら、相手の心はあなたにとって実体がないと考えていることになるかもしれない。


 
学的な思いつきを文章にまとめずに、思いついたまま、閃いたままをそのまま書きます。その背景や脈絡の説明なしにただ断片的に書く。読んでくださる方には不親切な書き方ですが、文章にまとめないことによってかえって断片は広がりをもちうるのではないか。各断片には後で言及するのに便利なように投稿順に通し番号を付けます。


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哲学メモ149

哲学メモ149
「一日一日を生きる」ということ

「今を生きる」という言葉と並んで、「一日一日を生きる」という言葉がある。「一日一生」という言葉もある。この言葉を初めて聞いたとき固定観念が壊されるような気がしてハッとした。

その固定観念とは何だろう。今日は昨日からの続きであり、明日は今日からの続きだという信念である。今日は一生のうちの一日だという常識だ。一日一日が積み重なって一生となるという常識だ。それが壊されたように感じたのである。

では「一日一日を生きる」とはどういう意味か。あえてまっとうではない解釈をしてみたい。今日という一日は昨日からの続きではないまったく独立した別の一日だということ。自分の記憶も含めて、いや自分自身も含めて、あらゆる一切のすべてが今日始まったということだ。言い換えれば昨日と今日は別世界に属するということだ。

しかし昨日の記憶があり、その記憶と今日の状態は矛盾なく接続している。昨日と今日が別世界だとは考えにくい。しかしその記憶もまた今日新たに作られたという解釈である。それは5分前世界創造仮説は反証できないというラッセルの思考実験と同じである。これこそ「一日一日を生きる」という究極の意味ではないか。

そんなことを考えて何になる? 何にもなりはしない。しかし、繰り返される平凡な一日がまったく異なった相貌をもって現われてくるではないか。今日一日が私の一生だ。そう思えるだけでも十分な収穫だ。





哲学的な思いつきを文章にまとめずに、思いついたまま、閃いたままをそのまま書きます。その背景や脈絡の説明なしにただ断片的に書く。読んでくださる方には不親切な書き方ですが、文章にまとめないことによってかえって断片は広がりをもちうるのではないか。各断片には後で言及するのに便利なように投稿順に通し番号を付けます。


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哲学メモ148

哲学メモ148

「今を生きる」ということ

「今を生きる」という言い方がある。映画の題名にもなり、もはや格言のようになっていると言ってもよい。しかし考えてみればこの格言は変ではないか。今しか生きることはできないのだからあたり前のことじゃないか。言うまでもなくわれわれは否応なく今を生きるしかない。できるものなら文字通り未来を生きてみろ、過去を生きてみろ。今しか生きられないじゃないか。ならばあえて「今を生きる」などと言う必要はないではないか。

しかしそう難癖をつけてみたものの、「今を生きる」という言い方で何を言わんとしているかは直感的に伝わってくる。すなわち、将来のことを思い煩うのではなく、また過去の思い出にふけるのではなく、今生きているこの瞬間を楽しみ悦べ、というほどの意味だろう。そう受け取ればこれはなかなか名言である。

だがもっと極端に解釈することもできる。通常、現在という瞬間は過去から連綿とつながり未来へと連綿と続いていくものとしてとらえられている。しかし今というこの瞬間が過去と未来から切断され、今という瞬間だけが現れている、そういう時間感覚を生きるという解釈である。

今という瞬間は過去から続いているのではなく、また未来へと続いていくのでもない。今しかない。そのようなギラギラした今という瞬間を生きるという経験。かのドストエフスキーはそのような経験をしたことがあるらしい。そのとき世界は異様に輝いて見えたという。「今を生きる」とは未来も過去もない今という時間のエッジに立つことなのだ。

これは異様な経験だ。日常の感覚では昨日から今日、今日から明日へと地続きで時間が流れていく実感がある。今この瞬間しかないとはどうしても考えられない。意識の流れのなかでは時間も同様に流れていく。だから目覚めている限り、過去と未来から分断されたものとして今この瞬間をとらえることはできない。だがいったん意識を失ったならばどうか。つまり眠っては目覚めるという経験のなかでは昨日と明日から分断された今日という世界を考えることはできるのではないか。




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哲学メモ147

哲学メモ147

必ず当たるおみくじ

そのおみくじにはこのような文が記されている。
「大吉。御覧のように、今日あなたはおみくじで大吉を出す。でも浮かれないで普段通りに過ごすように」

この予言は必ず的中する。なぜそうなるのだろうか。先ず文中の「あなた」が誰であるのかあらかじめ特定されていないこと、次に「今日」が何年何月何日と特定されていないことがある。もしも「あなた」の代わりに固有名が、「今日」の代わりに年月日が書いてあったとしたらこの予言が必ず当たるということはありえない。

では「おみくじを引く」という行為についてはどうだろう。そもそもおみくじを引かなければその文言を目にすることはない。そうなればその予言は外れることになるがそれは知りえないのである。引いたときだけ「あなたはおみくじを引く」という文を読むことになる。つまり必然的にこの予言は的中する。

この必然性は何かに似ていないか。たとえば宇宙論における人間原理に。なぜこの宇宙は人間のような知的生命体を生みだすような構造をしているのか。それは極小の確率の連鎖であるはずだ。そうであるなら人間の存在は奇跡中の奇跡である。そのような奇跡がなぜ起きたのか。このような驚きに対して人間原理は発想を逆転したようなことを言う。そもそも知的生命体が存在しなければそのような宇宙は観測されない。だからこの宇宙が知的生命体を生みだしたのは必然的なのである。

客観的な事実、出来事、現象こそが真実だという考えの人は人間原理も「必ず当たるおみくじ」もうさん臭く感じることだろう。だが、この原理は私の誕生と死の不可思議さを考えるときにヒントとなるような気がしてならない。



哲学的な思いつきを文章にまとめずに、思いついたまま、閃いたままをそのまま書きます。その背景や脈絡の説明なしにただ断片的に書く。読んでくださる方には不親切な書き方ですが、文章にまとめないことによってかえって断片は広がりをもちうるのではないか。各断片には後で言及するのに便利なように投稿順に通し番号を付けます。
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哲学メモ146―補

哲学メモ146―補

「存在する」という概念がなければ昨日見たものと今見ているそれが一個同一であるとの確信が持てないのは世界の中の個々のものだけではない。世界そのものについても言えるし、私という特異なものについてもあてはまる。

しかし昨日の世界と今現在のそれが変化しているから異なっているという意味ではない。変化というのはあるものが一個同一であるからこそ認められる。そうではなく、昨日と現在の世界が同一体・連続体ではないという意味である。私についてもしかり。「存在する」という仮説は世界の根幹をなす概念である。







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