美しきコノセカイ

他人から言ってもらわなければ嘘にされてしまう言葉が沢山あるからそれに気づいた時は面倒がったり恐れたりせずに言って上げて下さい。

一人言

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ある5人家族がいました。

30代の父と母と3人の兄弟。長男は10歳、次男は8歳、私は6歳でした。

ごく平凡な家族なのですが、10歳の長男は重度の食物アレルギーを持っていて、

食べ物も好きに食べられないという状態でした。

そんなある日、次男が学校でいじめられて帰ってきました。

母は驚いて理由を聞くと「僕だけステーキのどんに行ったことがないからって仲間外れにされた」

と次男は言いました。実は長男の食物アレルギーのため、

弟2人はファミレスどころか、外食もしたことがない、という状況でした。

それを聞いてショックを受けた母は、父と相談して、弟たちを1度ステーキのどん

に連れて行くことに決めました。

そして、ある日家族5人でステーキのどんに行き、席に着きました。

すぐに店員が注文を取りにきました。

母は店員に、「日替わりランチ2つとお子様ランチを2つ下さい。」と頼みました。

すると店員は、「お子様ランチ2つですか?」と尋ねました。

母は「はい、2つでお願いします。下の子がステーキのどんに行ったことがないと

クラスでからかわれてしまって…。一度ぐらい連れてきてあげてもいいんじゃないかって

思って連れてきたんです。

と言うのも、上の子が食物アレルギーで食べるものも制限されているんです…。

それでも子供たちにはできるだけ不自由な思いはさせたくないと思って連れてきました。

さらに失礼なお願いなのですが、上の子には家から持ってきた、

これをここで食べさせてもかまわないでしょうか?」と、

母はかばんから食材の入ったタッパーを取り出しました。

当然ファミレスに食べ物を持ち込むということは、食中毒など店側の衛生管理上の問題により、

本当はダメだということは母にもわかっていました。

ここで断られたらどうしようかと、母はひそかに思っていたのです。

店員は、「そうですか…。」というと、「私にそのタッパーを渡してください。」と母に言いました。

母は、「えっ」と思い、やっぱりダメか…、と落胆しながら店員にタッパーを渡しました。

しばらくして両親が頼んだ日替わりランチと、

国旗が付いている次男と私のお子様ランチが出てきました。

私と次男は喜んでいますが、両親は素直に喜べませんでした。

ですが、次の瞬間、もうひとつの料理が出てきたのです。

それはまぎれも無く、あのタッパーの中の料理でした。

綺麗に盛り付けされ、真ん中には国旗が付いています。

「はい、これがお兄ちゃんのお子様ランチだよ。」

その店員の思いがけない言葉と嬉しそうに喜んでいる兄弟の姿を見て、両親は涙が止まりませんでした。

いい加減、拝金主義(はいきんしゅぎ)の愚かさに気づくべきです。

人間はお金を神に選びましたが、それは間違いでした。

あんなものは、数字を書いたただの紙切れに過ぎません。

悟られない人がいる。

悟られない人がいる。

いつも穏やかに微笑んで、その陰にある気の遠くなるような忍耐を誰にも悟らせない人がいる。

悲しいことも、苦しいことも、痛いことも、自分の胸に収めて、笑顔を絶やさず、泣き言を言わず、頑張っている人がいる。

そんな人を見ると、後ろ姿にお辞儀をしたくなる。

昔、友達の見舞いで通った病院に、そんな人がいた。

顔を合わせるといつも、のんびりした笑顔で会釈してくれた。

話したことは結局一度もなかったけれど、友達から後で聞いた。

そのひと言を聞いて、たったそのひと言だけで、わかる訳でもないけれど。

元気に働いていたのに、ある日突然倒れたらしい。原因不明の高熱が続いて、ようやく熱が下がった頃には言葉も満足にしゃべれず、身体の自由もきかなくなっていた。

少しずつ、本当に少しずつ、それは進歩しているのかどうかわからないぐらいの、
まるで風に雲が流れてゆくぐらいの、ゆっくり、ゆっくりしたスピードで、

もう何年もリハビリを続けているそう。

リハビリをやめると、筋力が徐々に失われてゆき、やがては動けなくなってしまう。

友達も、ほとんど言葉を交わしたことはなかったらしい。

肺に穴が開く病気で入院した友達は、スポーツ選手を続けることを断念せざるを得なかった。

その激しい苛立ちから、家族にも当たり散らしていたようだ。

人のことを気にかける気持ちには、とてもなれなかっただろう。

ある日、いつものようにリハビリをしているその人に「何でそんなに頑張れるんですか?」と聞いたそう。

「生きたいんです。すこしでもながく。」

 当たり前のことだなんて言うなよ。回復していく見込みだってほんの数%しかないらしいんだぞ。

俺、それ聞いて、それ以上そこにいられなかった。トイレかけこんで泣いたわ。めっちゃ泣いた。

なんか、俺、自分がアホみたいに情けなぁなって・・・そう言いながら、泣き出した。

悟られない人がいる。

言葉にしないからじゃなく、誰かの、何かのせいじゃなく、まぎれもない自分の強い意思の力で、

人に悟らせない生き方を選んでいる人がいる。強い。そういう人を、強い人というんだろう。

「俺も、あんな風になれるかな?まだ、なれるかな?」

泣きながら、彼はそう言った。

悟られない人に、なりたいと思う。

悲しいことも、苦しいことも、痛いことも、自分の胸に収めて笑顔を絶やさず、泣き言を言わず。

もしそれでも悟ってくれる人がいたとしたら、

その人はきっと、自分にとってかけがえのない大切な人だろう。

「生きたいんです。すこしでもながく。」

そう言ったあの人は、大切な人を守るために、今日も歩いているだろう。

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R-17

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大人たちは言う 今の子供は何を考えているかわからない

でも 彼女たちは彼らは 苦しんでいる 心の中で叫んでいる

そして大人たちも 迷いながら生きている

子供たちも本当の大人たちはどこにいるのか探している

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11/2日のHELLO,WONDERFUL MUSIC! をもちまして
ウツギさんがバンド:バックマーカー(bcm)を卒業することになりました。お疲れさまでした。
バックマーカー結成から8年間、本人は別のバンドではもっともっと前からのバンド活動。
“本気な”音楽活動からはとりあえず退くウツギさん。
「もったいないっ」との声がいろんなところから聞こえてくるが、
本人の選んだ道であるから、みなさん、どうかあたたかい目で見守ってあげてください。

本人コメント

皆さん、今まで応援してくれてありがとうございました。

今回のライブでウツギユキノブは卒業します。

バックマーカーに入ってから8年

とても楽しかった。

メンバーと共に悩んだり、時には苦しみ、喜んだり、

共に笑い、僕の青春そのものでした。

この間のリハーサルでやっぱ後藤坂本宇津木でのバックマーカーは楽しい

なんだろ。プレイ以前に

でも坂本くんが抜けてからおれは凄い頑張った。

あの時抜けてたら後悔したかも知れない。

この先、どんな風になってくかはわからんけどもバックマーカーでやってきた事

おれは誇りに思います。

音楽を真剣にやってきた

情けなくてライブ後にマネージャーの前でワンワン泣いた事もあった。

おれが抜けたいと言った時にメンバーが必死に引き留めてくれてそのツアー中に名古屋でワンワン泣いた。

京都で喧嘩してライブ前に一言も話さないでライブに向かって

お金が無くてメンバーからパンを貰って食べたり

最高に盛り上がってみんなライブ後にワクワクが止まらなくてニヤニヤしてゲラゲラ笑って馬鹿話して

おれの青春そのもの

バックマーカーの事を思うとなんか胸が苦しいような

なんとも言えない気持ちになります。


最後のライブ

11月2日です。

日曜日です。

初心で

音を出して行こう。

今まで本当にありがとうございました。

ウツギユキノブ

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