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はい、こんばんは、今夜もはじまりました。 不定期でグダグダな特撮ブログWhite Crow(Road to 特撮王?)です。 沖縄県知事選はまさかの左翼候補の当選という緊急事態になりましたね。 詳しくは前回の記事を見てくて下さい。どんな最低野郎が沖縄知事になったか解りますよ。 今回のBGMは、『Grand Sword.』です。 昨日は、山形国際交流プラザ 山形ビッグウイングで スミセイさわやか介護セミナーの中で 元プロレスラー小橋建太トークショー 「腎臓がんから奇跡の復活〜この一瞬を大切に生きる〜」が行われました。 会場内は、SNIPERとBLAZINが流れていました。 時間になりまずは、小橋さんの選手時代の紹介VTRで 全日本のムーンサルトをしていた若手時代から →タイトル3冠初奪取、三沢達との激闘の時代→ノア旗揚げ →膝の怪我で足にボルトを入れながらの戦い →復帰してからのGHCヘビー13回防衛 →GHCタッグ王座奪取後、腎臓ガンが見つかる →引退試合 という濃い5分弱の映像でした。 その後に、小橋さんがトークショー会場に入場 曲は若手時代の曲SNIPERでした。 これには本人もビックリでGRAND SWORDじゃないんだと言っていました。 第二の人生のチャレンジャーをしている自分には 良いかもしれないですね(笑)とも語ってくれました。 進行を務める山形放送・青山友紀さんの方から筋肉触らせて貰っていいですかと言われ 「漬物石みたいですね」と言われると 漬物石みたいってもっと他にあるでしょうと会場を和ませていました。 思い入れの強い山形県での試合はという話には 阪神大震災2日後の大阪での川田選手との三冠戦60分フルタイムドローした 二週間後の1995年1月24日 山形県体育館 三沢光晴&小橋健太vs.川田利明&田上明 60分フルタイムドローが一番印象に残っているとの事でした。 では、60分熱いトークをお願いしますと言われると 60分っていう時間が好き、30分では短いし45分は中途半端と言っていました。 数日前に引退試合のDVDを見て試合ではなく最後のインタビューを見てジーンとした 日テレの矢島君がノッてインタビューするので話が被らないか心配していた。 試合前には一つだけ言わせてください「プロレスって何です?」これだけは 事前に言いますのでと言われたそうですが、他にどんな質問がくるか怖かった(笑) との事でした。 25年間の選手生活と引退してから1年半、 本当にプロレスが好きだと再認識しているそうです。 プロレスラーになろうと思った原体験は 小学校の頃に見たJ鶴田VSミル・マスカラス戦で 野球選手という夢からプロレスラーになるという夢に変わったそうです。 華やかさと屈強な肉体同士のぶつかり合いにやってみたいと思ったそうです。 京都府福知山にはアマレス教室が無かったので 中高時代は柔道をしていて高校時代の恩師とは今もお付き合いがあるそうです。 本当はJ鶴田さんみたいにバスケやバレーで 身長を伸ばしたかったらしいのですけど、 何故 あの時、柔道にしたんだろう?との事でした(笑) 高校を卒業後に京セラに入社 半年経ってから新聞にマイク・タイソンというボクサーが不良からボクサーになり頑張っているという記事を目にしたらしく 僕にとっては「プロレス」だ、今まで何かを理由にして生きてきた 高校卒業後は進路で、安定した社会人かプロレスラーで悩んだ 母子家庭で母親と兄貴に世話になり金銭的な事もあった 車と自動車学校の教習所のローンを払いきって 自分でしっかり生きていけると思い上京(当時20歳) 全日本プロレス入団を決意したが ポーズ写真付きの履歴書を送ったら不合格通知がきた。 納得いかず電話すると、「君には他の競技での実績が無いから」 頑張りますのでお願いしますというと「皆、そういうんだよね」 決意を持って会社を辞めた事を話すると「じゃあ、新しい会社見つけてね」 という感だったそうで、その後色々とあり入団したそうです。 人生の振れ幅を考えれば常にスタートはどん底で底から這い上がる 這い上がった途端にまた底に落ちて這い上がるという人生だった 勿論これからも這い上がって行きますので宜しくお願いします。 と話して下さいまして。 ついに話は腎臓ガンについてになり 最初は風邪かと思っていたがずっと鼻水が出たりとしていたて 顔色が悪いですねと半年間ほったらかしていたが 札幌でGHCタッグチャンピオンになり防衛戦した後に オフが二週間あり会社で健康診断をしたら エコー検査でアレ?と看護師達が騒ぎ出した 何かあったんですかと聞くと、何もないです何もないです。 検査機器の不具合の可能性もあるので近くの病院でCTを受けてください。 腎臓に腫瘍があるようで…と先生がはっきり言わないので 癌なんですか!と強く言ったら先生はハイと言ったそうです。 自分の世代ではガン=死だったのでプロレスが出来なくなると思ったそうです。 その話の途中で(*´゚дゝ゚`)=3ヘックション!となり 若林アナや福澤さん、矢島さんの前でも見せた事無かったと話してくれました。 昔の人は風は万病の元とよく言ったもんだ変な風邪の時は用心した方が良い 何かの病気のサインかもしれない、診断で命が助かったので 現在も健康診断に行くのは欠かさないそうです。 話は戻りまして、癌と言われた時はタクシーで帰ったそうですが 色々な事が頭に走馬灯のように浮かび全日本時代から ベストバウトやMVPをとった事が浮かんだそうですが 何が一番最高かというとファンの声援だった こんなに応援して貰ったレスラーは多分自分だけで いつ引退しても良い…けどまだリングに上がりたいと思った 7月に高山の復帰戦だけは出たいと思い、その後は治療に専念 現在の奥さん(当時は彼女)にガンの事を言ったらビックリして 泣いて部屋に行っちゃって出てこなかったらしいです。 まぁ、そんなに大きい家では無いですが(笑)と冗談も交えていました。 その後に、部屋から出てきて結婚して下さいと言われたそうですが いつ死ぬか解らない自分と結婚しても幸せに出来るか解らない 彼女の幸せが一番と考えてその時は断ったそうですが セカンドオピニオンにも全部付いて来てくれた。 自分が一生懸命何をしてきたか残したいと 再びリングに上がりたいと3件回った医者に話ししたら 腎臓を覆っている膜は柔らかく傷ついてガンが全身にまわる危険性がある 今、治療に専念してくれれば命はまだ助かると説得されたそうです。 リングの上でもし事故があったら誰が責任を取るかと医者に言われ 自分の意思で上がるので自分の責任ですと話すると 残された家族や団体の人はガンと知っていてリングに上げるんですよね。 残された人にも責任が及ぶかもしれませんよ。 と言われて残された人に迷惑をかけるのもダメだなと思ったそうです。 プロレス=自分が生きている意味だったし 腎臓という臓器の大切さを知る事になった 当たり前に食べる事もトイレにも行けなくなっていく自分 チャンピオンという絶頂からガンになり精神的には かなり落ち込んでいたそうです。 しかし、ファンの医者さん達が小橋建太を復帰させる会として色々と してくれたそうで、 復活した時に腎臓が二つあった時のように頑張らないといけないと 思ったそうです。 そういう事があり復帰できたのはファンの声援等の応援のおかげ 引退試合の言葉に全てが詰まっているそうです。 自分がガンになった時に看病してくれた母親が 自分が復帰して直ぐに大腸ガンになったそうで 京都に帰って手術を見届けたそうですが、母親は自分が治療を受けていた時 しかし、今では僕より元気です。という事でした。 ガンは早く発見、早く的確に治療する事が大事と言っていました。 最近は、自分を伝える為に喋りを勉強している言葉は 難しいと実感しているそうです。 ここで60分経過したのですが延長戦に突入という太っ腹(°д°) 山形放送・青山友紀さんの印象にある2010年のVS健介戦では 解説の高山さんが二人の共通点は共に一直線のパワーファイター 違いは、嫁がいるかいないか プロレスと結婚した男とプロレスラー(北斗晶)と結婚した男と言っていたのが 上手い事いうなと思ったそうです。 山形にくるのは久々でしたが自分を応援してくれるファンがいる限りまたきますとの事でした。 何でプロレスをしたいのかを見てもらおうと ガンの主治医先生に復帰戦を見てもらった時に 「人はそれぞれ生きている意味がありますが、リングに帰ってくる事が小橋さんの生きている意味だったんですね」と言って貰えたそうです。 ガンの治療後10年間生きていたら完治だそうで あと2年で10年、是非とも完治したと言いたいと言っていました。 39歳でタッグチャンピオンという絶頂の時にガン宣告 思う事は沢山ありましたが、生きる意味を人生を見つめ直せたという事では 大変貴重な時間だった。その後の人生を豊かにしないといけないと思った。 20歳の頃はバレンタインのチョコとは無縁だったが 生き方によって顔も変わってくる物 奥さんがいても多くの方にモテたいのは男の望みじゃないですか(笑) 10から20は勿論、30代でも70代でも100歳でも それぞれが生きている限り青春があると思います。 自分もまだ第二の青春の真っ只中にいると信じていますとの事でした。 今後は、テレビやラジオの世界にも挑戦できればと考えていますし こういうトークも全国でして多くの人に自分の生きる意味を考えてくれる キッカケになればと語って下さいました。 この時点で90分近いトークになっていました。 最後は、「GRAND SWORD」が流れて会場を後にしようとすると 入場曲にあわせた手拍子と小橋コールが振り返り満面の笑顔で ファンと握手しながら会場を後にしました。 最後は新幹線の時間がせまる中、 物販コーナーで本の購入者を対象にサイン&握手会をしてくれました。 ツーショット撮影は時間の都合上できませんでしたが 時間が迫る中ギリギリまでファンと話して笑顔で握手にも応じてくれましたし、 最後に出待ちも久々にしましたが その時も待っていたファン一人一人と固い握手をして下さり 自分は中学時代にテレビで見た三沢VS小橋のGHC戦の時に感じた プロレスという競技は凄いという青春に戻れた気がします。 小橋さんはとてもファンを大切にしてくれる良い人でした。 今回のトークショーで話しされたことはより詳しく小橋さんの本に 書いていますので気になった方は読んでみて下さい。 ファンは無料で熱いトークが聞けて本を買えばサインが貰えたりと 夢のようなひと時だったと思います。 小橋選手は呂律もちゃんと回っていて トークでも良くしようと努力しているんだなと感じました。 妥協を許さない小橋さんの生き様を見れば とことん拘って試合を組立ようとする姿を凄いと思いませんか 復帰は無理と思われていた膝の手術からの復帰やガンからの復帰、ガンの転移に 東日本大震災チャリティープロレスでのヒザの負傷 全てはファンを思うからこその復活であり再生であったと思います。 小橋さんは間違いなくプロレスの地位向上の為に 貢献してくれた一人だと自分は感じました。 各地や色々な職種に正義の心を持つ日本人は、日本の為に諸悪の根源を見つけ 日本の社会に潜り込む反日外国人のような悪を裁く正義の人でありたい物ですね。 |
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2014年11月17日
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