日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心

東日本大震災犠牲者のご冥福を祈ると共に、我が国の復興とさらなる発展を誓います。−護り続ける。護り切るから。

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 「公論は、敵より出るに如かず。」と言う。「戦っている相手=敵の評価こそが、最も公平・公正な評価である。」という意味だ。一見矛盾するような格言だが、贔屓目もなければ、過大評価・過小評価ともに極力避けようとする(であろうと期待される)戦っている相手=敵こそが、「最も公平・公正な評価を下せる」と言うのは、一理も二理もありそうな話だろう。戦国武将が「逆さ感状」=「敵から戦功を賞賛されること」を最大の名誉としたというのも、「公論は敵より出るに如かず。」と、相通じるモノがあろう。

 であるならば、バリバリの「沖縄基地反対派」である沖縄二紙の片割れ・沖縄タイムスが、「普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?「誤解だらけの沖縄基地」」と銘打って、「普天間第二小学校の移転は、反基地運動に妨害された」か、否かを検証しようと言う記事は、「敵からでた公論」となる/であると、期待できそうだ。コレは看過もなるまい。

 無論、私(ZERO)は「殆ど生まれながらの右翼」であるから、沖縄二紙とは「宗教が異なり」、「普天間第二小学校は反基地運動に妨害された!」と断じてはいないが、「普天間第二小学校の移設に、反基地運動(の一部?)が反対した」とは認識しており、「左様な反基地運動の普天間第二小学校移転反対は、通学する小学生の危険や不安よりも、基地反対運動を優先した非人道的な戦術である」と考えている。
 
 さて、沖縄タイムスの連載記事は、私(ZERO)の認識を覆せるだろうか?

 Now We START!(さあ、始めようぜ!)ー映画「夕陽のガンマン」からー

「沖縄タイムス」「普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?「誤解だらけの沖縄基地8〜10」」

【沖縄タイムス】普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(上)【誤解だらけの沖縄基地・8】
①【沖縄タイムス】普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(上)【誤解だらけの沖縄基地・8】
  2016年1月31日 07:15 

5誤解だらけの沖縄基地

【1】 「反基地運動のために市民団体が普天間第二小学校の移転を意図的に妨害して、子どもたちを人質にした」。世界一危険な米軍普天間飛行場(宜野湾市)に隣接する第二小をめぐり、インターネット上でこんな話が流布されている。普天間飛行場の危険性の象徴として、市民団体が第二小を移転させずに反基地運動に利用しているという趣旨だ。同校は1980年から10年以上も移転問題に揺れた。なぜ、学校は動かなかったのか−。

【2】普天間第二小校庭の真上をオスプレイが飛び交う。敷地は米軍普天間飛行場とフェンス1枚で隔てられている=2013年8月3日、宜野湾市

【3】 この「人質論」は、基地問題に対する沖縄の市民運動に批判的なブログやフェイスブックなどSNSで拡散。普天間飛行場は街のど真ん中にあり、周辺には住宅や学校、病院が密集するが、これらについてネット上では「『世界一危険な基地』は、学校を移転させずに危険をとどめようとする左翼のでっちあげだ」などのコメントが躍る。

【4】 ネットで引用されているのは当時の保守系市長、安次富盛信氏や「市関係者」らへの取材をもとにした2010年のある全国紙の報道だ。

【5】 報道によると、第二小はこれまで82年の米軍ヘリ墜落事故をきっかけに2度移転計画が持ち上がった。安次富氏が米軍と交渉し、キャンプ瑞慶覧の一部を学校用地として返還させることで合意し、予算も確保した。だが、市民団体が「移転は基地の固定化につながる」「命をはってでも反対する」などと抵抗したため、計画が頓挫したという。

【6】 「こんな話は、聞いたことがない」。教育次長や企画部長などで同問題にかかわり、のちに宜野湾市長を務めた比嘉盛光さん(77)は首をかしげる。報道内容とは逆に、予算の補助を国に求めたが、最後までかなわなかったからだ。

【7】 第二小は普天間小学校の過密化を解消するため69年、普天間小敷地内に暫定的に設置。翌70年、普天間飛行場に隣接し、滑走路延長上にある現在の場所に一部校舎が完成した。だが、文部省(当時)基準の4割にも満たない狭い敷地だったため、市は70年代から普天間飛行場の一部を返還させて敷地の拡張を模索する。79年には山口県岩国基地や、返還予定だった北谷町のハンビー飛行場から米軍ヘリなどが普天間飛行場に移駐。第二小の騒音は悪化し、教育環境の改善は、さらに急務となる。

【8】 80年9月25日。安次富氏は、ある方針を打ち出す。

【9】 「騒音で中断を余儀なくされ、適正な教育活動もできない。移転することが得策だ」。第二小の移転先として普天間飛行場と500メートルほど離れたキャンプ瑞慶覧の一部(現在の西普天間住宅地区)返還を求め、那覇防衛施設局(当時)へ要請書を出した。

【10】 わずか1週間後の10月2日、滑走路で離着陸訓練中のOV10ブロンコが墜落。第二小移転の機運はさらに高まった。(「沖縄基地」取材班)

②【沖縄タイムス】普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)【誤解だらけの沖縄基地・9】
②【沖縄タイムス】普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)【誤解だらけの沖縄基地・9】

22016年2月1日 07:09誤解だらけの沖縄基地

【1】 安次富盛信宜野湾市長(当時)のもと、1980年に浮上した米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小の移転計画。安次富氏は移転先を確保するため、キャンプ瑞慶覧の一部返還を米側と水面下で交渉していたが難問が待ち構えていた。 キャンプ瑞慶覧一部返還の5条件 1. 返還面積は4万平方メートル 2. 米軍が普天間基地に隣接する「丘陵斜面」を最大限に造成する。 3. 返還に伴い、キャンプ瑞慶覧内に住宅等を建設されること 4. 現在の普天間第二小学校敷地、建物を普天間飛行場として米国に提供すること 5. 保安策から5メートル以内に学校建物を建設しない

【2】 「用地、造成費の捻出に大変苦慮している。特段のご配慮方よろしくお願いします」

【3】 安次富氏は83年7月21日、防衛施設庁に補助を求めた。小学校を新たに建てる用地の取得費が当時試算で25億円に上り、市の財政規模では捻出が困難だったからだ。だが、国は「用地費の補助は制度にない」と型通りの対応だった。

【4】 補助の見通しが立たない中、84年12月8日、那覇防衛施設局を通じ、安次富氏のもとに米側が一部返還に応じる“吉報”が届く。ただ、五つの条件が付されていた。中でも難題となったのが第4項だった。

【5】 「現在の第二小敷地およびすべての建物を、普天間飛行場として合衆国政府に提供することに応じること」

【6】 キャンプ瑞慶覧の一部を学校の用地として返還する代わりに、いま第二小がある敷地を普天間飛行場に編入する。つまり、市民の土地を新たに基地へ差し出すというものだった。

【7】 当時は西銘順治知事が普天間飛行場などの整理縮小を訴えていた時代。安次富氏は返還への条件があったことや、その対応を公表しないまま、3選を目指した85年7月の市長選で、革新の桃原正賢氏に敗れた。

【8】 なぜあの時、安次富氏は移転を決断できなかったのか。安次富氏の次男・修氏は当時、國場幸昌衆院議員の秘書を務め、国との調整に奔走していた。修氏は、こう思い起こす。

【9】 「施設庁側は、第二小の移転は市長の決断次第だ、と言っていた。ただ、父にとって編入条件の受け入れは、第二小の移転が実現する一方、市民の理解を得られるのか、もろ刃のつるぎの側面があった。世論を見極めていたように思う」

【10】 市長就任後、編入条件を知った桃原氏もまた、苦悩する。「基地の整理縮小を求める民意に背くことになる」。86年11月には条件の撤回と、あらためて用地取得のための補助金交付を那覇防衛施設局へ要求した。

【11】 めどが立たない25億円の用地取得費に、容認しがたい現有地の基地への編入。国との交渉は長引く。88年11月。桃原氏はPTAからの移転要請を受け、強い決意を胸に与党議員や教育委員会とともに上京、関係省庁へ用地費の補助と、編入条件の撤回を要求した。

【12】 「広大な米軍基地を抱える自治体への思いやりは国として必要ではないか」「基地の整理縮小は県民の要望。跡地が軍用地になるのは世論に背を向ける」

【13】 それでも、基地を抱える街の訴えは届かなかった。

【14】 移転計画の浮上から12年がたった92年。これまで移転要請を重ねてきた第二小PTAが、断念を決意する。(「沖縄基地」取材班)

③【沖縄タイムス】普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(下)【誤解だらけの沖縄基地・10】
③【沖縄タイムス】普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(下)【誤解だらけの沖縄基地・10】

2016年2月2日 07:01誤解だらけの沖縄基地 「危険と同居 仕方ない」「PTA苦渋の決断」 拡大するPTA総会で普天間第二小学校の移転を断念することを報じる本紙の1992年9月19日付朝刊紙面

【1】 1992年9月19日付の沖縄タイムス朝刊の見出しだ。米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小のPTAが18日に開いた臨時総会。これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決めた。

【2】 なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。建築から20年以上たち校舎は老朽化。建設費の高率補助が適用される復帰特別措置法の期限が2年後に迫り、キャンプ瑞慶覧の一部を返還させて移転するのか、現在地で建て替えるのか、決断を迫られていた。

【3】 たとえ移転を選択しても、学校用地費は計画当初の25億円から50〜60億円に高騰。市が要求してきた国の補助は認められず、移転はいつになるか分からない−。

【4】 PTAの決議を受け、第二小は現在の場所で増改築され、96年に新校舎が完成した。

【5】 当時、校長の比嘉岳雄さん(81)は「天井のコンクリートがはげ落ちて落下する。鉄筋はむき出し。私たちにできることは、老朽化による危険から子どもたちを守ること。米軍基地からの危険を取り払うのは政治にしかできなかった」と振り返る。

【6】 比嘉さんは新校舎落成記念誌に、沖縄に米軍基地が集中している現状を踏まえ、国から用地費の補助が出なかったことに、こう記している。

【7】 「当時の関係省庁は沖縄の実情を全く組み入れず、全国共通メニューで操作していて、政治的配慮に欠けていたと思う」

【8】 さらに、学校を移転しても米軍基地の整理縮小、市全体の危険性にはどう向き合うのか。移転計画は基地あるがゆえの問題に阻まれた。

【9】 一般質問で第二小問題を取り上げていた革新系元市議の上江洲安儀さん(80)は「第二小が移転するということは普天間飛行場が存在し続け、市に危険がそのまま残るということだ。近くにはほかの学校もあり、第二小を移転したとしても、根本的な解決につながらない。普天間飛行場こそ撤去するべきだった」と指摘する。

【10】 報道は、歴史的背景や経緯が不明なままネット上で拡散し、オスプレイや辺野古新基地建設の反対運動への批判を誘導している。

【11】 沖縄国際大学の佐藤学教授(政治学)は「報道を利用した反対運動への批判は、沖縄への米軍基地の集中を正当化したい心理があり、沖縄をおとしめて、罪悪感を拭いたいという気持ちがある」と指摘。その上で、「若者がネット上の虚偽の言説を受け入れてしまうのはなぜかも考える必要がある」として、歴史の知識の欠如に警鐘を鳴らした。(「沖縄基地」取材班)

肝心の処は殆ど検証していない。否、むしろ、語るに落ちていないか?


 以上、三回にわたって連載された沖縄タイムス記事だが、上掲記事タイトルにもある「普天間第二小学校移転は反対運動に妨害された」かについては、

1> 「この「人質論」は、基地問題に対する沖縄の市民運動に批判的なブログやフェイスブックなどSNSで拡散」①【3】

2> 「ネットで引用されているのは当時の保守系市長、安次富盛信氏や「市関係者」らへの取材をもとにした2010年のある全国紙の報道だ。」①【4】

と明記しているから、この「人質論」の根拠が「2010年のある全国紙の報道」にあり、その「全国紙の報道」が「当時の保守系市長、安次富盛信氏や「市関係者」らへの取材」に基づいていることも審らかにしている。

 即ち、「普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された!」とする主張には、「全国紙の報道」「安次富盛信元市長への取材」という「相応の根拠があった」と認めた形だ。

 さて、そうなると、「普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された!」という説を覆すためには、安次富盛信元市長を問いただすか、同元s市長がすでに故人であるなどすれば反基地運動の方に「普天間第二小学校移設に対する当時の賛否」を問いただしそうなモノだが、上掲連載記事は初っぱなの第一回からそんなことにはならず・・・

3> 「こんな話は、聞いたことがない」。
4> 教育次長や企画部長などで同問題にかかわり、のちの宜野湾市長を務めた比嘉盛光さん(77)は首をかしげる。
5> 報道内容とは逆に、予算の補助を国に求めたが、最後までかなわかったからだ。 ①【6】

・・・と、「反基地運動に妨害された」検証は比嘉盛光さん(77)の一言でどこかへ行ってしまい、以降縷々述べられるのは「普天間第二小学校移設費用を、国が補助しなかった話」ばかりになる。

 言うまでもなかろうが、「国が金を出さなかった」話は、「普天間第二小学校が移転しなかった理由」ではあるかも知れないが、「反基地運動が普天間第二小学校移転を妨害した」か否かの検証には、関係ない(*1)

 で、上掲記事②では普天間第二小学校の移設先を米軍キャンプ瑞慶覧の一部返還で確保しようとして、米軍から「代わりに移設後の普天間第二小学校跡地の普天間基地への併合」などの条件を示され、先述の安次富市長も、その後任の(今度は”革新派”)桃原市長も、基地の整理縮小を求める民意に背くことになる」②【10】と「苦悩」し(*2)、遂に普天間第二小学校移設を断念する様が描かれる。

 仮に上掲沖縄タイムス連載記事が全て真実として、当時の基地反対運動が普天間第二小学校移設に対し反対していなかった(*3)としても、民意が、基地縮小を求める」として「基地拡大につながる普天間第二小学校の移転を断念した」のであるならば、基地反対運動が意図するせざるに拘わらず、ある意味「普天間第二小学校移転が基地反対運動に妨害された」ことになるのではないか。それ即ち、上掲沖縄タイムス連載記事でも「普天間第二小学校移転は、反基地運動で妨害された」と証されて居るではないか。

 基地反対運動が、当時の「市長の苦悩」を「知らなかった」としても、小学生の安全と教育のためには「普天間基地への普天間第二小学校跡地の併合」を容認するのが人の道というものであるから、「市長の苦悩を当時知っていたら、普天間第二小学校移転及び普天間第二小学校跡地の普天間基地への併合に、賛成していただろう。」ぐらいのコメントは、当時の基地反対運動からあっても良さそうなモノだ。また、そんなコメントをとってこその「検証記事」だろう、と思うのだが、上掲沖縄タイムス連載記事は、そんなことは気にもしていない様だ。

 が、その一方で・・・

6>  一般質問で第二小問題を取り上げていた革新系元市議の上江州安儀さん(80)は
7> 「第二小が移転するということは普天間飛行場が存在し続け、
8> 市に危険がそのまま残るということだ。
9> 近くにはほかの小学校もあり、第二小学校を移転したとしても、根本的な解決にはつながらない。
10> 普天間飛行場こそ撤去するべきだった」と指摘する。③【9】

だそうであるから、仮に今後普天間第二小学校移転が提案されたとしてもこの革新系元市議の上江州安儀さん(80)は反対される、ようである。

 普天間第二小学校移転が検討された当時、上江州安儀さんが市議であったかどうかは不明であるし(*4)反基地運動のメンバーだったかはもっと不明だが(*5)、少なくとも上記7>〜10>の革新系元市議・上江州安儀氏の発言は、上掲連載記事で沖縄タイムスが否定しようとした「普天間第二小学校移転が反基地運動に妨害された」という説を、「妥当な推論」と評するに十分な根拠と、考えるがね。

 語るに落ちてないか?沖縄タイムス。

 「I love the JOB!(なぁんて、楽しい仕事だ!)」ー映画「イン・ザ・ネイビー」よりー

 それは兎も角、北朝鮮は滅ぼされるべきである。

<注記>

(*1) 念のために付け加えると、「普天間第二小学校が、反基地運動のために移設できなかった」とする説の否定としては、「移設できなかった別の理由」を挙げれば良いから、上掲沖縄タイムス連載記事でも「合格」ではあろう。 

(*2) 安次富市長については、同市長次男の推測による。 

(*3) 全く信じ難いし、上掲沖縄タイムス連載記事もこの点には全く検証していない、証していないのだが。 

(*4) 宜野湾市議の議事録HPによると、上江州安儀市議平成10年に「5期目に向かって初めての・・・」と発言しており、市議の任期が4年であることからすると、1980年にはすでに市議であった、可能性大だが。 
(*5) 「沖縄の革新系市議」と、沖縄タイムスに紹介される時点で、ほぼ確定、な気もするが。 

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