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 第4次安倍内閣が発足して、新閣僚も数多あるので、野党やマスコミ(の一部?)はその非難に地道を挙げている様だ。
 それはそれで、勝手にすれば宜しいのだが・・・この朝日&毎日の「柴山新文科相教育勅語発言に対する批判社説」は、チト看過しかねたぞ。

①【朝日社説】教育勅語発言 柴山文科相の見識疑う
①【朝日社説】教育勅語発言 柴山文科相の見識疑う

教育勅語発言 柴山文科相の見識疑う

r2018年10月5日05時00分

【1】 教育勅語には、現代風にアレンジすれば道徳の授業などに使える分野が十分にある。普遍性をもつ部分が見て取れる――。

【2】 柴山昌彦・新文部科学相が就任会見でそんな見解を披露した。教育行政をつかさどる閣僚の見識を疑う。

【3】 安倍政権下ではこれまでも、首相に近い政治家が勅語を擁護する発言を繰り返してきた。

【4】 「至極真っ当。今でも十分通用する」と述べた下村博文元文科相しかり、「道義国家をめざす精神は取り戻すべきだ」と唱えた稲田朋美元防衛相しかり。そして今度は、自民党の総裁特別補佐や首相補佐官を務めてきた柴山氏である。

【5】 菅官房長官は「政府としては積極的に教育現場に活用しようという考えはない」と火消しにまわったが、それだけでは不十分だ。首相自身が説明に立ち、勅語の「復権」をきっぱり否定しなければならない。

【6】 「危急の大事が起きたら一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」という点に、教育勅語の本質はある。だから敗戦の3年後の1948年6月、衆院は「根本理念が主権在君ならびに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すもととなる」として、その排除決議を全会一致で可決した。至極当然の指摘である。

【7】 根幹が国民主権と人権尊重に反するものを、どのようにアレンジしても、学校で使えるわけがない。

【8】 柴山氏は、勅語に「普遍性」を見いだす根拠の一つとして、国際協調を重んじている点を挙げた。この認識も疑問だ。

【9】 近現代史を研究する辻田真佐憲(まさのり)氏は「むしろ国際協調の視点が足りないとして、日清戦争後には改訂の動きがあった」と話す。勅語には「ここに示した道は天皇歴代の祖先からの遺訓であり、外国にも通用する」という趣旨のくだりもある。結局、国内外に価値観を押しつけ、軍国主義を支える精神的支柱として、勅語は機能し続けた。

【10】 擁護派は、きょうだいや友人を大切にする、博愛や公益を広めるなど、勅語には良いことがたくさん書かれているという。だが家族愛や友情、公共の精神は勅語を持ちださなくても教えられる。実際、そうした普遍的な徳目は、どれも学習指導要領に既に盛り込まれている。

【11】 戦前の日本は天皇と国家に無批判に従うよう国民に強い、戦争に駆り立て、破局の道をたどった。その苦渋の歩みを教える史料として扱う以外、勅語を教育に生かす道などありえない。


②【毎日社説】柴山氏の教育勅語発言 早くも時代錯誤の登場だ

②【毎日社説】柴山氏の教育勅語発言 早くも時代錯誤の登場だ
柴山氏の教育勅語発言 早くも時代錯誤の登場だ


毎日新聞2018年10月5日 東京朝刊

【1】 安倍晋三政権の本音が表れていると見るべきだろう。 

【2】 先の内閣改造で初入閣した柴山昌彦文部科学相が戦前の教育勅語について「アレンジした形で今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と語った。

【3】 時代錯誤の考え方だと言うほかない。しかも教育行政をつかさどる文科相の発言である。今後の道徳教育への活用を否定しなかった点は重大で、看過するわけにはいかない。 

【4】 これまで自民党総裁(安倍氏)特別補佐だった柴山氏は今年8月、自身のツイッターで「戦後教育や憲法のあり方がバランスを欠いていたと感じている」などと記している。

 【5】 そこで就任直後の記者会見で教育勅語に対する認識を問われ、「同胞を大切にする」といった基本的な内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きがあると紹介し、「検討に値する」と語った。 

【6】 教育勅語は「森友学園」が経営していた幼稚園で園児に唱和させていたことが注目され、国会で改めて大きな議論となった。政府は昨年3月、憲法や教育基本法に反しない形での教材使用は否定しないとの答弁書を閣議決定。柴山氏の発言はこうした流れを受けたものではあろう。

 【7】 ただし教育勅語は戦前の国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たした。その内容の核心は、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある。

 【8】 教育勅語を再評価する人たちは、親孝行などの教えは普遍的だと言うが、一部分に目をつけて全体を肯定しようとするのは逆立ちした考え方だ。親孝行を説くのにわざわざ教育勅語を持ち出す必要がないにもかかわらず、これにこだわるのは、やはり安倍政権が戦前回帰志向を捨て去れないからではないか。 

【9】 「憲法などに反しない形」とは何を指すのかもあいまいだ。柴山氏は今後も「使える部分」として「国際的な協調を重んじる」点も挙げたが、教育勅語は今日的な意味での国際協調を求めたものではない。

 【10】 道徳は小学校では今春から、中学校でも来春から「特別の教科」と位置づけられ、児童・生徒の評価対象になっている。戦前の価値観を押しつけるような学校教育が進まないか。不安材料が早くも出てきた

③【琉球新報社説】教育勅語評価発言 戦前に逆戻りしたいのか

2018年10月6日 06:01 社説 

【1】 柴山昌彦文部科学相が2日の就任記者会見で教育勅語について問われ「現代風にアレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と評価する発言をした。

【2】 「同胞を大切にするとか国際的な協調を重んじるとか、基本的な記載内容について現代的にアレンジをして教えていこうと検討する動きがあると聞いている。そういったことは検討に値する」とも述べている。時代錯誤も甚だしい。

【3】 教育勅語は1890年に発布され、明治天皇の名で国民道徳や教育の根本理念を示した。親孝行や家族愛を説きながら「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と記し、万一危急の大事が起こったならば一身をささげて皇室国家のために尽くすことを求めている。

【4】 学校では「御真影」(天皇、皇后両陛下の写真)とともに保管され、神聖化された。昭和の軍国主義教育と密接に結び付いていた。

【5】 当然のことながら、現行憲法の基本原理である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義とは相いれない。1948年に衆院は排除決議、参院は失効確認決議を可決する。衆参両院は詔勅の謄本の回収を政府に求めた。教育勅語は、戦争という誤った方向に突き進んだ時代の「負の遺産」だ。

【6】 親孝行や家族愛を説くのなら、わざわざ教育勅語を持ち出すまでもなく、適切な教材はいくらでもある。戦前に逆戻りしたいのだろうか。

【7】 政府は昨年3月、「教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」としながらも「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定している。

【8】 政府方針を拡大解釈し、歴史の史料以外の教材として教育勅語を利用するケースが出てこないとも限らない。柴山氏の発言でそうした懸念が一層強まった。

【9】 多様性が尊重される昨今、一つの価値観を押し付ける教育の在り方は国際的な潮流にも逆行する。まして、憲法の理念に反する教育勅語を道徳などで教材化することは許されない。

【10】 柴山文科相を任命したのは安倍晋三首相だ。教育勅語を巡っては昨年3月、当時の稲田朋美防衛相も「全くの誤りというのは違うと思う。その精神は取り戻すべきだ」と述べ、野党から批判を浴びた。両氏とも首相に近い。首相自身と同じ考えだから起用したのではないか。

【11】 柴山氏は、公明党幹部から「教育勅語を是認するような発言はアウトだ」とくぎを刺され、「すいません」とこうべを垂れたという。謝る相手が違う。

【12】 5日になって「政府レベルで道徳なども含めて教育現場に活用することを推奨する考えはない」と釈明したが、不十分だ。発言を撤回した上で、混乱を招いたことを国民に謝罪すべきだ。

各紙の「柴山新文科相教育勅語発言批判理由/根拠」を列挙してみよう

 以下、丸数字は引用した社説の番号。【】内はパラグラフ番号を示す。

(1) 「危急の大事が起きたら一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」と言うのが教育勅語の本質だから(*1)①【6】②【7】 ③【3】

(2) 1948年に衆院で「根幹が国民主権と人権尊重に反する」として教育勅語排除を決議した ①【6】【7】 ③【5】

(3) 教育勅語は「国内外に価値観を押しつけ、軍国主義を支える精神的支柱」だった ①【9】②【7】 ③【5】

(4) 教育勅語には、「戦前の負の歴史を教える史料」として以外の使い道が無い。①【11】

(5) 普遍的な徳目を教えるのに教育勅語である必要は無い。(学習指導要領で十分だ)①【10】②【8】 ③【6】

(6) 時代錯誤だ②【2】  ③【2】

(7) 教育勅語は、今日的な意味での国際協調を求めたモノでは無い ②【9】

(8) 戦前の価値観を押しつける様な学校教育が懸念される ②【10】 ③【9】

<注記>

(*1) 「一身を捧げて皇室のために尽くせ」ってのは、まだ問題視のしようもあろう。だが、「一身を捧げて国家のために尽くせ」ッテのに、一体、何の問題があるってんだぁ?? 

 朝日&毎日社説の「教育勅語擁護発言批判理由/根拠】分析開始

 全般的に「柴山新文科相の教育勅語発言に対する批判」と言うよりは「教育勅語自身とそれに対する擁護論への批判」となっているのは、多分、朝日毎日はじめとする各紙(*1)「教育勅語そのものを絶対悪視しているから、」らしい。

 「絶対悪視」なんてどぎつい表現をするのは「とても教育勅語原文を読んだことがあるとは思えないぐらいヒドい批判社説ばかりだったから」だ。

 まだマシな方から行こうか。上記(6)は「毎日新聞の感想」でしか無い。教育勅語が21世紀の今日でも通用するか、時代錯誤かは、他の論点を論すれば、自ずと明らかとなろう。

 上記(7)「柴山新文科相の教育勅語擁護理由」に対する反論であるが・・・何とも的外れ、では無かろうか。教育勅語は基本的に道徳を説いており、「進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」とあるのを「国際的な協力を重んじる」と解釈出来なくも無いが・・・そうとう無理がある。上記(7)に関しては、毎日主張が「正しい」と、私(ZERO)も認めざるを得まい。

 上記(5)は・・・これぞ「絶対悪視の証拠」と言うべきか。普遍的道徳を教えるのに、教育勅語である必要は無い」という主張は「別に教育勅語でも構うまい」と「即時反撃」出来る。「教育勅語である必要は無いから不要だ!」ってのは相当な短絡思考であるし、「教育勅語に、普遍的道徳が書かれている」事を暗に認めている。

 上掲①朝日社説教育指導要領に、普遍的道徳は書かれているってのも凄まじい主張で、教育指導要領は道徳の教材にはなるまい。「教育指導要領に基づいて、普遍的道徳を教える授業に教育勅語を持ち込む」事は、物理的にも論理的にも可能であろうが。

 教育勅語は教育指導要領に反するから、教材と出来ない!テ主張はありそうだが、教育指導要領に反している」としたらそれは「教育勅語の普遍的道徳以外の部分」でしかあり得ない。第一、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ・・・」以下の「教育勅語の普遍的道徳が表れている部分」は、国民主権とは無関係だし、人権尊重にはそうモノである。この部分だけならば、上記(2)教育勅語擁護論批判根拠は完全に崩れよう。

 上記(8)はまた凄まじい飛躍・短絡であるな。柴山新文科相は「教育勅語をアレンジすれば、活用出来る部分もある」と発言しただけ。第一、柴山新文科相の発言にかかわらず「道徳教育は、小学校では今春から実施されている」のだから「戦前の価値観を押しつける様な学校教育」が始まったかどうかは、既に実施例があろうが。

<注記>

(*1) 弊ブログに「教育勅語は我が国の宝である」を書いた頃には、アカ新聞共は愚か、読売や日経まで教育勅語批判社説を掲げ、これがまた揃いも揃ってオッペケペーだった。おかげで弊ブログネタにはなったが。 

 現状・現在よりも、過去・歴史が重大・致命的なのかね?

 上記(2)〜(4)は、何れも「教育勅語の歴史」と括れて、上記(4)に至っては教育勅語は、負の歴史の史料としてしか教材にならない」と断定・断言している。これまた凄まじいな。

 教育勅語が教材に使えるか否かは、まず第一に「教育勅語自身・原文」に依る。確かに文語体で少々読みにくくはあるが、表意文字のありがたさで意味を知るのには些かの教養があれば十分だ。過去にどう使われ、どう教えられたか」なんて歴史的背景は、原文に比べれば些事であろうが。

 況んや史料としてしか教材にならないなんて断定・断言は、偏見独断以外の何物にもなりそうに無い。

 極めつけ「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」批判論


 極めつけは上記(1)「『危急の大事が起きたら一身を捧げて皇室国家に尽くせ』が教育勅語の本質」と言う「批判」であろう。原文で言うと「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分だ。

 既に突っ込みを入れたが『危急の大事が起きたら一身を捧げて国家に尽くせ』と言う主張は、当然ある主張だし、無ければ困る主張だ。「危急の大事」に「一身を国家に捧げる」人間がいなければ、国は滅びてしまう。国民を犠牲にする様な国家は滅びてしまえては一つの考え方(*1)だが、「それでは困る」という考えは当然あり、教育勅語も同じ立場、と言うだけだ。教育勅語を金科玉条絶対不可侵として「他の考えを認めない」ならば問題視もあり得ようが、一つの考え方として提示するのに、何の遠慮がいるモノか。

 そこはそれ、朝日は狡猾だから、上掲社説①では「国家のために尽くせ」では無く「皇室国家のために尽くせ」と表記して問題視化(問題化、では無い)を誘っている様だが、我が国に於いて、「皇室国家」と「国家」の間に、如何程の差違があろうか。

 神代の昔から我が国では、我が国と我が大君とは、殆ど一体不可分では無いか??
 考えてもみよ。日本国家では無く、皇室のために一身を捧げる」なんて状況は、どれほど想像出来ようか(*2)?少なくとも「皇室では無く、日本国家のために一身を捧げる」状況の方が想定も想像もしやすいし、蓋然性も高そうだ。それとて、「皇室と日本国家、両方のために一身を捧げる」想定・想像・蓋然性には到底適いそうにないが。

 さらには、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の手段として「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」に限定する必要すら無い。解釈によってはそのずっと前の父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ・・・」以下の「教育勅語の普遍的道徳が表れている部分」も「皇運ヲ扶翼」する手段と解釈しうる。(以前「教育勅語は我が国の宝である」に書いた通り  )無論、この場合皇運ヲ扶翼の解釈は「皇室国家に一身を捧げる」や「天皇のために死ね」では意味が通らず「我が国の国運を盛り上げよ」という抽象的な意味になる、ってのも前稿の通りだ。左様解釈すれば、修身斉家治国平天下と言う儒教道徳の基本的政治観にも相通じる事になる。つまりは「判りやすい」だろう?

 「かつてはそのように解釈されなかった/教えられなかった」としても、そりゃ半世紀以上も昔の話だ。

 21世紀の日本人が「皇運=国運」と解釈して教育勅語を活用するのに、なぁんの支障も遠慮も要るモノかよ。

 それはそうと、北朝鮮は滅ぼすべきだな。

<注記>

(*1) 亡国の思想だろうと、売国奴の思想だろうと、敗北主義だろうと、「一つの考え」であることに間違いは無い。 

(*2) とは言い条、私(ZERO)は弊ブログの小説「新・次の次の一戦」で中国共産党に占領されてしまった日本を後にして天皇陛下に(少なくとも)ハワイまで御動座頂いているのだが。 

追記 2018/10/10


 琉球新報もまた柴山文科相の教育勅語発言批判社説を掲げていたので、上記③として追加した。

 社説は追加したが、教育勅語発言批判理由・根拠は上記①、②で挙げられているモノの中に包含されている様なので、本稿の論旨は全く変えていない。

 琉球新報は後出し社説なのだから、新たな視点なり、批判理由・根拠なりが欲しかったのだが、そこはまあ痴呆紙、もとい、地方紙の悲しさ、と情状酌量の余地もあろう。

 情状酌量の余地が無いのは、上記の通り「教育勅語非違反理由・根拠】だ。まあ、その点は全国紙である朝日、毎日も同罪であるが。
 
 それはそうと、北朝鮮は滅ぼすべきだ。

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