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寄せ集めから独演会へ

そこで、談志師匠が開発したのが、各地にあるホールを使った独演会というスタイル。
寄席に出られないなら、違う場所でやっちゃう。
でも、ここで大きな問題が。
寄席には、落語以外に、漫才や手品、曲芸など、様々な人が出演し、一人当たり20分程度で入れ替わり演じます。
客は飽きずに落語を聞けるようになっています。
独自開催では、そんなにたくさんの芸人を出すことができません。
そこで、生まれたのが「独演会」。
もう一人で2時間やっちゃう。
普通なら20分で1日の仕事が終わりなところを、2時間やっちゃう。
観客を飽きさせずに2時間。
試行錯誤があったと思います。
そこで生まれたのが、冒頭のピカソ的な脱皮。
同じ噺を毎回していては、リピーターに飽きられちゃいますから。
これにより、ホールがあれば、世界中どこでも談志師匠の場になりなりました。
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あらすじ 「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、・・・」(平家物語
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 平治の乱で敗れた源義朝の愛妾の常盤御前は三人の子どもを抱えて悲しみに暮れている。そこへ訪ねて来たのが平宗清で、「うちの大将はお前さんにぞっこん惚れこんでいるよ。大将の意に従えば三人の子どもの命は助かけてもらえる。これが操を破って操を立てる、破る操が真の操ということだ」と説得され、平清盛に身をまかせて世話になる。

 牛若は七歳になると鞍馬山へ預けられ仏門に入らされるが、鞍馬の天狗から武芸十八般を教わり、鞍馬を抜け出し五条大橋で弁慶をこらしめ家来にする。
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牛若は元服して義経と名を改め、金売吉次に伴われて奥州、藤原秀衡のもとに向かう。途中、美濃国の青墓長者の家に泊まった。

 その夜、大泥棒の熊坂長範の一味が押し入った。義経はここはまかせろと長範と渡り合い、長範が切ってかかるところをと小手を打つ。あまりの痛さにべそをかいて薙刀を取り落とした長範が後へ下がるところを義経はえいっと首を切ったが血が出ない。
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そこで今度は向う脛をかっ払った。長範がばったりと倒れるところを踏んづけると、血が出ないでアン(餡)が出た。思わず義経、「こりゃあ、熊坂でなくて今坂(饅頭の種類)だ。つぶして出たからつぶしアンだ」、義経は杖にしてきた葦を地面にさして、「さしおくも形見となれや後の世に 源氏栄えば よし竹となれ」と詠んで東国へ向かった。
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一方、京の都では清盛以下、平家の増長、専横ぶりに以仁王の平家追討の令旨が下る。これに呼応していち早く都へ乗り込んできたのが木曽義仲だ。倶利伽羅峠の一戦で牛の角に松明をつけた火牛の計で平家の軍勢に突っ込んだ。急に火がついたバーベキューの群れが飛び込んで来て平家勢は大混乱、水をかけても焼け牛に水とはまさにこのこと。ついに義仲勢は平家軍を蹴散らして都に攻め入った。
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 入京した義仲は所詮、木曽の山中育ちの山猿で乱暴、狼藉、放埓な行いは平家以上だ。困った後白河法皇は伊豆に配流中の源頼朝に義仲追討の命を下した。絶好のチャンス到来と頼朝は東海道を上って喜瀬川の宿に陣を張っていると、奥州から頼朝の挙兵を聞いた義経が馳せ参じて、兄弟の初対面となる。

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義経は範頼と六万余騎を率いて都へ乗り込んで粟津の一戦で義仲を滅ぼした。義経はその勢いを以って西海に平家を追討すべく寿永三年二月七日、摂津播磨の国境の鵯越(ひよどりごえ)の天険に上る。下の一の谷には平家十万の白旗が翩々(へんぺん)と翻っている。

 さあ、この断崖絶壁を馬は下りられるのか。義経は源氏と平家になぞられた馬を下ろして見る。平家の方の馬は前足を折って倒れたが、源氏の方の馬は見事に着地成功でスックと立って金メダル確定だ。

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早速、義経は軍勢に下りろと命令したがみなたじろんで動かない。
侍 「大将、ここを下りるんですかい。こんなすごいとこは普段の手間賃では御免蒙りたい」

義経 「この期に及んで足元を見るのか。よし、戦時特別手当を支給しよう」ということで手を打った。これが名代の費用取越という。

 義経軍は平家を屋島の合戦へと追い込んで行く。夕刻がせまり、戦いも一段落した頃、平家方から一艘の舟。その先へ棹を立てて、棹の先に扇を開いて結んでこの扇を射てみよと手招きをしたのが、ミス平家と歌われた、柳の前という美女。

 よし見ておれと義経が数多の強者(つわもの)の中から選抜したのが、下野住人、下野高校の剛速球投手で弓の名人のた那須与一宗高だ。

 那須与一、おまかせあれと、白毛の駒に打ちまたがり、波打ち際へ来て、はるか彼方の扇の的を見渡し、ザブッザブッと駒を波間に乗り入れ、弓に矢をつがえ、満月のごとく引き絞り、弓矢八幡を念じ、再び目を開けば、 風もいささか収まれり。

 矢をヒョ ウと放てばあやまたず、見事、扇の要を射貫き、はるか中天に飛んだ扇面は春風に一揉み二揉み揉まれて波の上に漂う。折から、沈みかけたる夕日に照 り添え、得も言われぬ風情。静まり返っていた敵も味方も一度にどっとどよめき渡り、歓呼の声はしばし鳴りやまず。

 壇の浦で平家軍を追い詰めた義経が、笛の音がする一艘の御座船に飛び移ると、これが安徳天皇を抱いた二位の尼、平時子の泣き声。義経は時子の後ろに回り介錯しようとすると、能登守教経が割って入る。強弓の教経は屋島の合戦で義経を狙って矢を放ったが、忠臣の佐藤継信が身代りとなって矢を受けて死んでいる。

 時子すこしも騒がず、声朗らかに辞世を八木節で、♪「あ〜あ、さても一座の皆さま方よ、ちょいと辞世を読み奉る。長門壇の浦で切らりょとままよ」

義経 ♪「抜いた刀がしまわりょか、よいしょ」、教経も仕方なく「ピッ、ピッ、ピィヒャララ・・・」と踊り出した。

 能登守が踊ったばっかりに、平家が西海に没落した。「踊れる(おごれる)平家は久しからず」


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