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立川談志

落語家の名跡。
五代目を名乗った(正確には七代目と言われる)落語立川流家元、立川談志(本名・松岡克由=まつおか・かつよし)は1936年1月2日、東京生まれ。52年に16歳で高校を中退して五代目柳家小さんに入門、二つ目で「小ゑん」を名乗り頭角を現した。63年に真打ちに昇進して五代目立川談志を襲名。
日本テレビ系の「笑点」を企画・立案し、66年の番組開始から初代司会者を務めて人気者となる。同年代の先代三遊亭円楽や古今亭志ん朝、先代春風亭柳朝とともに「寄席四天王」と呼ばれた。また、独自の社会批評や奔放な毒舌でもファンを増やした。
71年には参議院議員選挙全国区に無所属で出馬し最下位で当選。1期6年間務めた。この間、自民党に入党し、沖縄開発庁政務次官に就任したが、二日酔いで記者会見に出席したことなどがもとで、わずか1カ月で次官を辞任した。
83年、真打ち昇進制度を巡る対立により、師匠の小さんが会長を務める落語協会を脱退、「落語立川流」を創設し家元となった。以降、常設の寄席に出演できなくなったものの、ホールでの落語会を続け、志の輔、談春、志らくらなどの人気落語家を育てた。「芝浜」「文七元結」など古典落語の名手だった。理論家でもあり、著書に「現代落語論」などがある。
97年に食道がんが見つかり、2008年に声門がんの手術、09年には糖尿病治療と体力低下のため休養するなど、闘病を続けていた。晩年は、喉頭がんを患ったが、「プライドが許さない」として声帯の摘出手術はせず、落語への意欲を見せていた。その後、がんの進行で呼吸困難症状となり、11年3月下旬に気管切開手術を受け、声を失った。同月6日、一門会で披露した「蜘蛛駕籠(くもかご)」が最後の高座となった。同年10月下旬に容態が急変し、以後3週間、意識が戻らないまま、11月21日、75歳で死去した。戒名は本人が以前から決めていた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」。
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あらすじ 藪で名高い甘いようかん先生。患者が来なくて開店休業、もはや廃業寸前。そこで一計を案じた先生、飯炊きの権助を呼び、芝居をやってもらいたいと頼む。芝居と聞いた権助は、「おらは、これでも村芝居ではあまっこ形(女形)をつとめただ」と大乗り気。
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ようかん先生は、権助に大店の番頭になってもらって、玄関で「おたの申します、日本橋の越後屋から先生のご高名をうけたまわって参りました。急病人がありますから、すぐにお見舞い願います」と、近所に聞こえるように大声で、少し時をあけて何度も繰り返して言ってくれと頼む。これを聞いた近所の人は、こんなに次から次へとようかん先生を頼って来るとは薮医者と思っていたが、本当は名医だったのだと思って、病人が押し寄せて来るだろうという算段だ。

 権助は、「来るやつは気の毒だ。みんな先生の手にかかって命を取られてしまう。人殺しの手伝いはごめんだ」と、尻込みするが背に腹は代えられず、しぶしぶ納得。権助は店の名前を変えて何度も”おたの申します”の猿芝居の茶番が始まった。

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すると、どう間違ったのか、「おたの申します」と八丁堀岡崎町伊勢屋六兵衛の手代の久兵衛が入って来た。久兵衛「私の主人の今年十六になる娘が、長患い床につきまし難渋しております。先生に是非ともお見舞いを願いたい。・・・」、絶好のチャンス到来とようかん先生、もったいをつけて、「診て回る患者が立て込んでいて、順番だと七日後あたりになるが、・・・えぇ、よし、今晩伺います」、久兵衛が「ありがとうございます」と帰ろうとすると、権助が「おたの申します」と、何とかの一つ覚えで入って来た。ようかん先生が伊勢六から是非来て欲しいと声がかかったと話すと、権助「まぁやれやれ、娘さんも若い身そらであの世へ行くとは。・・・南無阿弥陀仏」とは縁起でもない。

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早速、ようかん先生、一張羅の着物を着込み岡崎町の伊勢六へ往診に出掛ける。伊勢六の主人は、「いろいろな先生方に診てもらいお薬もたくさん処方していただきましたが、一向に良くなりません。”お医者様でも草津の湯でも”の病いかとも言われ、娘に問い糾しましたがまったくの見当はずれでした。はては祈祷師、呪術師、山伏などを呼びましたが怪しげな事をされ、以来、娘は誰も近づけず障子を閉めた薄暗い部屋に、可愛がっていると閉じ籠って床(とこ)についたままです」と、涙ながらだ。

 ようかん先生、自信たっぷりな風で、「さあ、拝見しよう」と娘の部屋へ入り、「それでは脈を」と言って猫の手を取って、「うーん、ひどいやせ方だ」と、もう藪を通り越している。主人も、「こりゃまたダメだ」と思ったが、溺れる者藁、ダメ元で控えていると、ようかん先生、「この薬を」ともう診察終了。「じきに治りますから、大船に乗った気でおまかせ・・・」と、平然と店を出て行った。

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主人はあんな頼りない医者に診せて、娘の容態が悪化してやしないかと心配して、娘の顔を障子を少し開けて見ると、何となく顔に赤味がさしているように見える。翌日もようかん先生は往診に来て、「もう大丈夫でしょう。薬も要らんでしょう」と帰って行った。言うとおり、娘は起き上がって障子を開け、猫とじゃれついて食欲も出て来た。

 主人は喜んで、「最初は疑っていたが、こんなによくなるとは不思議だ」と、五両の礼金を小僧に持たせてようかん先生の所へやって来た。主人は丁寧に礼を言ってから、「あれほどだった娘の病いがこんなに早く良くなろうとは、・・・・何か秘伝、秘術でもお使いでございますか・・・」、先生は得意げに、「お宅の娘さんは気うつで、腹の中に一本の徳利がある。その徳利に蓋がしっかりとはまっていて取れない。それがために気が沈むということ。その蓋をはずしたまでのことよ」、主人「どのようにして」、先生「娘さんは何を見てもおかしいという年ごろ、ちょいとを見せたのよ」、「え、キンと申すと?」、「着物の前がはだけるふりをして金玉を少しだけ見せたのじゃ」。
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主人「へぇ、変なものが薬になるものでございますねぇ」と、すっかり感心して帰った主人。自分もやって見ようと娘の部屋へ行き、たくさん見せた方が効き目も多かろうと、娘の顔の前でいきなり、勢いよく着物の前をめくった。ふんどしもつけていない、モロ金がたっぷり、笑うどころか「きゃー」と大声で叫んだ娘さん、途端に顎(あご)がはずれてしまった。急ぎ呼ばれたようかん先生に主人が事の顛末を話すと、

ようかん先生 「ははぁ、こりゃあ、薬が強すぎました」




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