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甲斐武田氏は、流罪人義清を祖とすること
武田義清・清光をめぐって(『武田氏研究』第9号 志田諄一氏著 一部加筆)文中の各標題は加筆
 しかし、義清は市川荘や青島荘の下司として甲斐国に派遣されたのではなく、市河荘に配流されたのです。また義清の孫信義が最初に武田氏を名乗ったのではなく、義清は初めから「刑部三郎武田冠者義清」として甲斐国に配流されたのであります。
 それでは甲斐武田氏の祖となった義清はどういう人物なのか、なぜ市河荘に配流されたのか、などを考えてみましょう。義清の父である新羅三郎義光が、後三年の役のとき兄義家の苦戦を聞き、左兵衛尉を辞し救援のため奥羽に下向したのは有名な話であります。しかし、藤原為房の日記『為房卿記』、寛治元年(一〇八七)八月二十九日条によると、義光は「身の暇も申さず、陸奥に下向し、召し遣わすといえども参らなかったので、解任した」とあります。『本朝世紀」寛治元年九月二十三日条にも、「左兵衛尉源義光の停任の宣旨を下さる」とみえるので、八月二十九日に義光の左兵衛尉解任が決議され、九月二十三日に天皇の決裁が下されたのであります。
 義光のこうした強引な行動は、兄弟愛や源氏発展のためだけとは思われない面があるといわれています。義光の兄である義綱は義家不在の京都で源氏の代表者として摂関家に臣従し、武威を誇っていながら義家の奥羽での戦いに協力した形跡がないのです。義光はこれまでいつも兄の義家・義綱の威勢に押されて、自分の力を発揮することができなかったといわれております。そこで後三年の戦いを利用して奥羽に乗りこみ自分の勢力を拡大しようと考えたのであります。
 

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