白州町情報最前線 サブやんのなんでもジャーナル

山梨県・北杜市・白州町のありのままの姿をジャンルを問わず綴っていきます

やまなしジャーナル

[ リスト ]

源為朝のこと・悪源太清光のこと
源為朝は『保元物語』上の「新院御所各門カ固めの事」によると、幼年のころから「不敵にして兄にも所をおかず、傍若無人」であったので、十三歳のとき父為義は鎮西に追い下した、とあります。仁平元年(一一五一)のことであります。為朝は尾張権守家遠を守り役として、豊後国に居住し肥後国阿蘇忠景の子、忠国の婿となり、九州の総追捕使と号して三年のうおに九州一円を攻め落してしまったといいます。
左大臣藤原頼長の日記『台記』の久寿元年(一一五四)十一月二十六日条には、「今日、右衛門尉為義五位解官、其子為朝鎮西濫行事依也」とあり、『百錬抄』久寿二年四月三日条にも、
源為朝は豊後国に居し、宰府を騒擾、管内を威脅す。依って与力の輩に彗ん由つ禁遇すべきの由、宣旨を大宰府に賜う、
とあります。
為朝の濫行に連坐して父の為義が解官しているのは、清光の濫行と似ているのであります。為朝は幼年のころから不敵にして、傍若無人であったといいますが、清光にもそうした性格があったように思われます。清光は『尊卑分脈」や「武田系図」によれば十八名の男子をもうけています。これだけからみても清光は精力絶倫で、並はずれた気量の人物であったことが知られます。おそらく、祖父義光の性格をうけついだのでしょう。そうすると、『尊卑分脈』にみえる「黒源太」という称号が間題になるのです。「源太」は源家の太郎の意でありますが、「黒」はなんでしょうか。清光の顔色が赤黒かったという考えもありますが、元来この称号は、この人物の性格をあらわすものと思われるので、その姿、彩の形容ではありません。おそらく、「悪源太清光」と呼ばれて人びとから恐れられていたのではないでしょうか。
 
悪源太ならば、他にも類例があります。源義朝の嫡子義平は、『尊卑分脈』に「鎌倉悪源太と号す」とあり、『平治物語』『源平盛衰記』によれば、義平は十五歳のとき叔父の春宮帯刀義賢と武蔵大倉に戦い、これを斬ったので、世に鎌倉の悪源太と呼ばれた、とあります。義平の母は三浦大介義明の女で、鎌倉にいたので、そう呼ばれたのです。悪源太義平は、平治元年(一一五九)、十九歳で六条河原で討たれております。「悪」をつけられた人物は、他にも、悪左府、悪七郎兵衛景清、悪禅師がいます。悪左府とは左大臣藤原頼長のことで、『保元物語』には賞罰をわかち、善悪を正すがあまりの頼長のきびしく行きす
ぎた言行に対し、時の人が「悪左府」と称して恐れた、とあります。
悪七兵衛景清は、『源平盛衰記」『平家物語』によれば、上総七郎兵衛と称し、躯幹長大、勇を以て一時に聞こえ、世呼んで悪七兵衛という。平家減亡後逃走、のち頼朝に降り、八田知家の家に預けられたか、食せずして死すとあります。悪禅師は「清和源氏系図」によれぽ、将軍実朝を誅した公暁を世の人が、悪禅師と呼んだことが知られます。「悪」は中田祝夫『新選古語辞典」によれぼ「正義、道徳、良心などに反すること。またはその行い。性急はげしい、荒々しい、強剛である、などの意を表す語』とあります。そうすると、清光は「黒源太」よりも「悪源太」と呼ばれる方がふさわしい人物であります。「悪」と「黒」は草書では間違いやすいので、「悪源太」とあったのを、「黒源太」と誤記したのか、あるいは悪源太の称号を嫌って後世の人が「黒源太」としたことも考えられるのです。
 

.

過去の記事一覧

白州町地域なんでもジャーナル
白州町地域なんでもジャーナル
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事