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甲斐源氏の祖源義光没する 須玉町誌
(「大聖寺過去帳」甲斐叢書八)
大治二年(一一二七)
弓馬達者名将也 於園城寺新羅大明神赴壇加首服
号新羅三郎 依号新羅三郎 常陸介 甲斐守 従五上 兵衛右馬允 刑部少輔 左衛門尉 刑部丞
平日住三井寺
擬舎兄義家朝臣子
→義光
母同義家朝臣
大治二十二卒 大往生人云
伊与阿闇梨
→快馨 号西蓮房
母(「尊卑分脈」第三篇、清和源氏義光流)
義光山大聖寺殿峻徳尊了大居士
俗名戟新羅甲斐守義光
大治二年戊申十月廿日卒
〔解説〕
源義光が大治二年十月二十日に没したとするのは、『尊卑分脈』以下、諸系図にすべて一致しており、異説はない。
大聖寺は、南巨摩郡中富町八日市場にある真言宗の古刺で、義光の曽孫にあたる加賀美遠光(清光の第三子)が、宮中警護の任で都にあったとき、高倉天皇から下賜された不動明王坐像を本尊とし、義光の位牌を安置して開基したという寺伝を持つ。現存する不動明王坐像は、その作風からも都での製作を思わせる平安末期の秀作で、国重文に指定されている。
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