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【鎌倉末期 武川衆】 (『山梨県の地名』日本歴史地名大系19 平凡社 一部加筆) 鎌倉末期に甲斐守護となったと伝える武田(一条)時信は、武川筋の諸村に子を配したという。山高には信方が、牧原には貞家が入り、またのちに柳沢・知見寺・宮脇などにも支族が入ってそれぞれの地名を姓とし、近隣の教来石・白須・青木・山寺・折井・入戸野民らとともに武川衆とよばれる武士団を形成したという。その動向は明らかではないが、永享五年(一四三三)四月二九日、武田信長と結んだ日一揆と跡部氏についた輪宝一揆とが荒川で戦い、日一揆側が大敗するが(鎌倉大草紙)、同日付で「一蓮寺過去帳」に柳沢・牧原・山高氏らが載るから、この戦いに武川衆も参戦したことがわかる。
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