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【武川村と河川の水害の歴史】
(『山梨県の地名』日本歴史地名大系19 平凡社 一部加筆)
永禄年間大武川の氾濫により幸燈宮一帯が流失した。
享保十三年七月釜無川と大武川が氾濫し、三吹下組は集落のほとんどが流失、一二月高台の畑に屋敷割をし、四五軒が移住した。
寛政二年、文政一一年(一八二八)と大水害を被り各村では水災供養塔・九頭竜権現などを祀り安全を祈願した。
明治二年(一八六九)七月の水害も釜無川通り田畑流失二九町歩に及び、各河川周辺に被害をもたらした。
明治三一年九月の台風により上三吹七四戸が砂石に埋まった。
大正三年(一九一四)の大武川の氾濫も下三吹と牧原に被害を与えた。
昭和三四年(一九五九)八月に台風七号と九月に一五号(伊勢湾台風)により村域は大水害を被り、流失民家一二九戸、死者・行方不明二三人、流失農地一二〇ヘクタール、堤防橋梁のほとんどが換害を受けた。この災害復旧には四カ年の歳月と三五億円の巨費を要した。
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