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【花水坂】
花水坂については『甲斐国志』は次のように記している。
日野ヨリ台ガ原へ出ゾル数十町ノ険坂ナリ(或は云う日野坂)白砂山ノ麓ニテ釜無川・尾白川・大深沢三水会同ノ処ヲ花水卜云フ。古時ノ信州路ナリ、若神子ヨリ渋沢・台ガ原へ逓送セリト云フ。白砂山ハ七里岩上ニ秀出シテ頂ニ古松欝然タリ……
山水石岩最モ風致アリ昔時ハ岩上ニ亭子ヲ構へ山桜数珠ヲ植ユ、花時ニハ曼欄トシテ映ズ、困テ花水ノ名アリトナソ。武河筋白洲ノ松原へモ遠カラズ河ヲ隔テテ相対ス。古人云ク本州東南ノ方ニ富士山ノ陰岳ヲ望ム所在美ナリト雖モ所望処ニヨリ山容勝劣ナキヲ得ズ、所謂花水・御坂・万沢等最モ世ニ称スル処ナリ。(山梨県富士山三景)
【『織田軍記』】
天正壬午四月二日信長大河原ニ御宿陣、三日大河原ヲ立テ五町許リ出レバ富士山能ク顕ハル、御見物ナリ各驚目、夫ヨリ新府へ入ラセラルト有り。
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