|
【五街道 甲州街道、原路・西河路】
徳川家康は慶長五年関ケ原の戦のあと、東海、東山、奥州、日光、甲州の五街道を設けて、各街道に伝馬制をしいた。しかしこの甲州街道は降雨のために釜無川、尾白川、濁川などの出水によって、たびたび通行が不能となって、その機能を十分果すことができなかった。そのため出水時に脇往還の役割をもつ原路が重要視された。『甲斐国志』には次のように記されている。
原路卜云ハ韮崎宿ヨリ新府墟ノ下ヲ過キ穴山村ニ係り日野ノ原ニ会ス、中世韮崎、渋沢、小渕沢、信州蔦木宿卜鳴行スル事ニナリ、宝暦中駅宿ヨリ支リ訟論ニ依り「西河路」ニ水アリタ往還ナシ難キ時ハ台原宿ハ渋沢ニ出テ、教来石宿ハ小渕沢ニ出テ駅伝可致趣ニ公裁定ルト云、
このように、「西河路」すなわち甲州街道が出水のため一部通行ができない場合は、台ケ原宿は渋沢へ、教来石宿は小渕沢へ継立てることが公に認められた。しかし小渕沢などが伝馬役の負担が重いためその免除を願いでて、宝暦以後は小渕沢の宿駅業務は教来石宿が出向いて行なうことになった。このように甲州街道が開かれてからも原路に相当の貨客の通行があったものと思われる。
|