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山梨県歴史講座 山梨県古代御牧の誤解
美豆御牧は『甲斐国志』の言うような、「美豆ノ牧トハ穂阪、小笠原、逸見三所ヲ差シテ云ナルヘシ。」ではない。美豆は京都市伏見区淀美豆、久世郡久御山町美豆野であり、『千載集』の頼政の歌に「山城の美豆野の里に妹をおきていくたび淀に舟呼ばふらん」とあり、「山城の美豆のみくさにつながれて駒ものうげに見ゆる旅かな」・「比ぶべき駒も菖蒲の草も皆みつ( )の御牧にへけるなりけり」なの他にも「美豆の御牧」や「美豆野」を詠み入れた歌は数多くある。『甲斐国志』の混乱は『夫木集』に「みつ」を「へみ」に変えた事にもよる。また甲斐国志の編者の「美豆御牧」の認識不足にもよる。また紀貫之の「みやこまでなつけてひくは小笠原へみの御牧の駒にや有らん」も京都府の久御山町では「みやこまでなつけてひくは小笠原美豆の御牧の駒にや有らん」と紹介している。「逸見の御牧」は歌の世界のことで歴史文献には見えないのである。「美豆ノ牧トハ穂阪、小笠原、逸見三所ヲ差シ」の記載は間違いである。なお『甲斐国志』の眞衣野の項の歌も信濃御牧ケ原を詠ったもので眞衣野牧とは関係ないものである。 昨年明野村永井原で発掘された遺跡が「小笠原牧」であるとのような発表があったが、この遺跡を小笠原牧と決定する説明はなく、ただ一度古書文献( )に見えるだけの「小笠原牧」と決定するには慎重な調査が必要で、「小笠原地名」の発祥地の南アルプス市小笠原の地名もあり、またこの地域は勅旨牧三牧や中世牧と係わる可能性もあり焦って結論を出す必要は認められない。 残念ながら『甲斐国志』からは甲斐御牧の存在は解明できない。また歌に詠まれた地域名にしても諸説はあっても確定はできない。 1995年に発屈された甲府市塩部遺跡から馬の歯の一部が出土し、研究者が甲斐の馬の生産の起源が四世紀後半に遡ることを指摘された。また研究論文によると馬の体長は125程度で働き盛りの「良馬」が犠牲として殺された可能性が強い。と言及されている。また東日本における四世紀の属する馬の出土は東日本でも数例しか認められていないとして、その四件の内山梨県の塩部遺跡から二件、中道町の東山北遺跡が一件で長野更科の遺跡がそれに続いている。 甲斐と馬の関係は『日本書紀』や『続日本記』を始め多くの書に掲載されている。ある面ではこうした文献の内容の裏づけともなる。 こうした研究者の弛まざる努力がその解明に大きな力となるが、研究者の過大な推論は今後の研究の足枷にもなることもあるので注意が必要と思われる。日本でも最大級と称される『甲斐国志』をもってしても何の解明もない状況で、その後に著された諸本も歌や『甲斐国志』から脱却できずに混迷を深めている。所在地の確定は難しい状況であるが、数多くの文献から甲斐の御牧の規模や当時の牧の様子などには近づくことはできるのである。 ここで『甲斐国志』に先だって刊行された『甲斐名勝志』について見てみることにする。 |
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