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山梨の歴史講座 甲斐勅旨牧(御牧)参考資料『甲斐名勝志』〔天明三年(1783)刊。萩原元克編〕
○延喜式所載御牧三 1、 柏前牧 柏前牧 甲斐御牧考曰、柏前殊に不可考然式所載之牧都テ三處而穂坂眞衣野既在巨摩郡ニ因テ思フニ之逸見又有樫山村北與レ信界土極テ勁寒曠邃而多ク産于今州民皆取給ヲ焉其稱樫山者亦安ク知其非柏前轉訛乎外是而八代郡有柏 山而黒駒山値其南駒飼村在其東ニ皆遠盖前ト與峡同訓而皆縁山水ニ之稱ナレバ則此具一帯之地域為古之牧亦 不可知ル也云々。依之按スルニ柏尾・樫山両説難分と雖も、恐ろくは柏尾ならんか。 2、 眞衣野牧 眞衣野牧 甲斐御牧考ニ曰、武川之地有牧原村與驛路屬ス。倭名鈔有巨摩郡眞衣則此其為違名亦可知矣。東鑑曰、 建久元年三月十三日、甲斐国武河御牧駒八疋参着被レシ經御覽可被進京都。云々 3、 穂坂牧 穂坂牧 甲斐御牧考曰、逸見之地見有小笠原村而講有繁穂坂之號者且村落之通稱有坂上・坂下 意者(オモフニ)穂坂者大名而所謂小笠原是特稱者和歌所詠如互擧其名者然恐不復為兩牧也。云々 この後述には駒牽行事への参加状況が記載してあるが重複するので省く。 この時代にすでに「甲斐の御牧」の所在地は不詳であり、従って『甲斐国志』においても同様な記載となったことが理解できる。以後諸説はあっても研究や史料の読み込みも不足していて未だに進捗してない状況である。今後は遺蹟調査に頼ることになるが、当該地域墳墓や遺蹟などの調査結果からもその所在地を確定できない。実証するには盗掘や破壊された遺蹟や遺構が多すぎる。 特にその時代背景から地名「小笠原」は旧中巨摩郡櫛形町小笠原周辺地域の方が先行する条件がある。後に開発されたのが明野村小笠原であると思われる。人や動物が住む適地条件を鑑みて見れば理解できることである。増穂町・旧甲西町、櫛形町、白根町、八田村なども十分に牧地としての条件を満たしていると考えられる。 |
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