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白州町 旧鳳来小学校沿革の概要
明治六年七月、
学制頒布後下教来石では、来福寺を仮用して教来石学校を、大武川では福泉寺において大武川学校(後の分教場)を設立して開校したのが鳳来小学校のはじめであった。
その後地域住民の理解と協力で施設設備の充実が図られ、明治十五年学齢児童一五五宅の内就学児童一五〇名と、就学率も約九七バーセソトに達して義務教育の成果が順次向上していった。

明治十三年十月十九日
県令藤村紫朗臨席のもとに新校舎の完成式が盛大に挙行された。

明治三十五年三月
村議会に於いて教育費五七四円九六銭が議決され、児童数一一六名であった。

明治四十年
義務教育年限が四ヶ年から六ヶ年となり、基礎教育の向上がはかられた。

明治四十三年八月
同窓会を組織して発会式をあげ、会員相互の親睦を図るとともに学校教育を側面から援助することになった。

明治四十三年十月二十一日
本校改築竣工と大武川分教場とを併せて開校式を挙行したが、本校改築費は郷土出身東京松屋百貨店杜長古屋徳兵衛氏や、北海道で名をなした名取高三郎氏ほか十三名の浄財三、九〇〇円の寄附によってまかなわれた。なお下教来石青年団も廻旋塔一基を寄贈された。以後本校には篤志家による施設設備の寄贈が多くなされ学校教育推進向上に多大な貢献をしてきた。なかでも古屋徳兵衛氏は度重たる金銭、物品の寄贈をされたので、村民こぞって昭和十二年十月六日同氏の碩徳碑を校地内に建立し、除幕式が挙行された。

明治四十四年五月一日
高等科併置が認可された。併置当時は在籍数尋常科二六四名(男一三六名女一二八名)。高等科一七名(男一五名・女二名)となっている。
 
大正二年
在籍児童数は尋常科二八三名(男二二四名・女一四九名)、高等科二一名(男一七・女四)、教育費一、五六五円七十銭と、父兄も教育には熱心で大正四年には母子会をつくり、授業参観をして家庭と学校との話し合いの会を開いた。

昭和二年
在籍児童数尋常科二六七名(男一四三名・女二一四名)高等科五四名(男三二名・女二二名)。教育費も七、九〇五円と増え、

昭和三年十月十日
校舎増築落成式を挙行して、建物も教育内容も充実してきたが、日華事変の勃発とともに戦時色が濃くなり、

昭和和十六年
校名も十六年には国民学校と改称され、国家総動員態勢が一段と強化し、教育内容も戦時体制の方向に変わっていった。戦争が熾烈になるにつれ主要都市等の爆撃も烈げしさを増し、学童の生命を守るため地方へ疎開させたので十六年本校学級数初等科八、高等科二、在籍児童数初等科二〇三名、高等科七〇名

昭和二十年
初めには初等科三一〇名、高等科八○名計三九〇名と増加した。

昭和二十年八月
敗戦以後も食糧や生活物資が不足し、闇商が横行し、正直者は生きて行けない時代と言われた。このときユニセフ物資によるミルク給食、続いてパソ食を加えた学校給食が開始された。

昭和二十二年四月一日
六・三制の実施による学制改革で鳳来小学校となったが終戦前後は、極度に食糧や生活物資が欠乏して国民生活は非常事態であった。敗戦によって封建主義の時代から民主主義の時代と、杜会や教育に大きな変革がなされ、民主主義の新しい教育理念にたった教育基本法に基づいた教育が実施されてきた。

昭和二十七年十一月
市町村に教育委員会が設置され、地域の要望にそった教育がなされるようになった。またPTAの誕生によって父母と教
師とが一体となって教育の推進をしていくのであるが、本校では二十一年学校に在籍する児童一の父母ばかりでなく、村全体が学校教育向上に協力すべきだという考えのもとに、PTA・後援会を組織し爾来地域を挙げて、物心両面から学校教育推進のために貢献されたのは本校の特色である。

昭和二十八年
またそのころは、物資の不足から教科書も数十ぺージのうすいもので、しかも用紙が粗悪の時代が何年か続き今それを見れば、これが教科書かと思われる程である。その後は急速に経済の回復が進むなかで教育改革も新しい方針に従って国民生活の中に根をおろしていった。校舎の老朽化で改築の気運がもり上ったとき、中学校の統合がなされ新しい中学校舎を二十八年四月より使用することになったので特別教室も多く設けられ、なかでも音楽教室は階段教室ともいわれ、音楽を指導する上で大いに効果をあげてきた。
なお児童の情操教育にも重点をおき自然を愛し物を大切にする教育を推進していくたかで、二十八年六月には北巨摩地方事務所よりバードゥイーク学校賞を受けた。

昭和三十四年八月十四日・三十七年
早朝、台風七号が本町に甚大な被害をもたらし特に荒田方面の災害は大きく児童の家で全壌一、半壊一、土砂浸入家屋九、田畑の流失埋没の被害多大の上に、九月二十六日の台風十五号の再度の災害にあい、下教来石、荒田の集落民は本校講堂で避難の一夜を過した。
情操教育とともに児童の健康教育と健康管理の必要性を痛感し、全ての教育に優先するのは健康教育であるという全職員の共通理解のもとで、昭和三十四年四月から県教育委員会及び学校保健会の実験学校の指定を受け児童の健康教育にとりくんだため、児童の健康状態は順次よくなっていった。その成果を県でも認め昭和三十七年十二月健康優良学校として表彰を受けた。

昭和四十年度
予算は七七二、一五〇円である。

昭和四十九年六月
県統計教育研究指定校になり、統計的なものの見方、考え方による教育の推進を図り成果を上げてきた。

昭和五十年度
学校予算は三五五万三、000円である。

昭和五十二年三月 
文部大臣表彰の栄誉に浴した。その間、花いっぱい運動を展開、花を育てる運動優良校。花いっぱい運動推進校として優秀だったので、郡、県、国の表彰を受けた。また情操教育の充実にも全職員一丸となって努力したので、県内外からの視察者が多かった。

このように開校から閉校まで特色ある学校経営がなされてきたのである。開校以来の卒業児童総数は尋常科三、〇一〇名(明治二十五年以降の卒業児童数で開校から同二十四年までの卒業数は不明)、高等科は八一七名の多数に及んでいる。


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