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《山岳信仰の発生》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)
甲斐駒ケ嶽の山岳信仰を考察するにあたり、再び深田久弥「日本百名山」を引く。彼は、日本アルプスのうち、もっとも綺麗な頂上を持つ山として黒雲母花崩岩でおおわれた駒ケ嶽山頂を次のように描写した。
「頂上に花庸岩の玉垣をめぐらした祠のほかに、幾つも石碑の立っているのをみても、古くから信仰のあつかった山であることが察せられる。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)で、昔は白衣の信者が登山道に続いていたのだという。その表参道ともいうべきコースは、甲州側の台ケ原あるいは柳沢から登るもので両登山口にはそれぞれ駒ケ嶽神杜がある。この二つの道は、山へ取りかかって間もなく一致するが、それから上、頂上までの道の途中に鳥居や仏像や石碑が点綴されている。」
と記して、現在の駒ケ嶽山頂の信仰的景観を叙述している。
この山頂、登山道の景観は、概ね明治以降現代に到る百年問の山岳信仰の片鱗を伝えているもので、富士山、木曽御嶽、木曽駒ケ嶽に近似するもので、やや希薄の形態では、鳳凰山や、金峰山などにも見られるものである。それ以前は如何なるものであったか。
韮崎市藤井町坂井遺跡は、縄文中後期を主とする著名な遺跡であるが、その住居趾に彷垂状の石が立つったまま出土した例がある。この遺跡から展望できる鳳凰山の地蔵仏岩を意識して、その尖塔に模した信仰的遺物であるといわれたことがあった。
昭和五十五年、北巨摩郡大泉村谷戸で発掘された金生遺跡は、縄文後晩期の一大祭祀遺構とされるものであるが、その石組の中に棒状の立石が幾つかあった。この立石は恐らく、周辺の高山、八ケ岳、金峰山、鳳風山、特に、真近かに屹立する駒ケ嶽の山容に対する信仰的な関連が十分にうかがわれるものであると言われる。これらの遺構は、考古学的な年代からすると、二、○○O年〜四、○○○年以前のものと思われ、その頃から山岳に対する強烈な自然信仰が存在したことが想像されるのである。(筆註----この説の中で立石であるが、これは男性のシンボルに擬した物が多く、山岳信仰でも火山信仰に近いと考えられる)
恐らく、縄文時代の当時において、あるいは、当時であったからこそ、真西の方角に当って、厳然として餐える駒ケ嶽は、極めて深遠な精神的、信仰的な影響を、先史時代の人問に与えていたのであろう。特に、人間の生者病死の間題、山中原野における狩猟・採集の労苦、粗放原初的な農業の苦心、自然災害や疫病への恐怖、近隣杜会との闘争などへの深刻な対処の長い長い年代の中で、頼るべきものは、雲間に聳立して不動、優美たる大自然の姿であった。極めて徐々とした動きであったが、その信仰的態度は、少しずつ宗教的な心理を深めて行ったことであろう。


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