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甲斐駒ケ岳《「峡中紀行」》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)
駒ケ嶽神杜の社伝によれば、甲斐駒ケ嶽も役ノ小角が仙術を修した山であったといわれ、その事に関連してか、山中に異人の棲む伝承が今に伝わっているのである。宝永三年(一七〇六)甲州を探訪した荻生徂徠はその「峡中紀行」に次の如く記している。
「駒嶽亦来りて、婚前に逼る。之を望めば、山の不毛なるもの三成り。焦石畳起する者に似たり。巌の稜角歴々として数ふべし。形勢獰然たり。此より前の芙蓉峯の笑容相迎へし老に似ず。相伝ふ豊聡王(聖徳太子)の畜う所の麗駒は、是の渓に飲んで生ずと。山上祠宇有る莫し。山□木客(山中の怪人)に往々にして逢ふ。故を以て土人敢て登らず。昔一人有り。愚かににして勇なる者、三回の糧をもたらし、もって絶頂を瞬む。一老翁を見るに相責めて曰く『此の上は仙福の地、若が曹の渉る所にあらず』と。其の髪をつかみて、巌下に放てば、則ち胱然已に已が家屋の山後に在り」(河村義昌訳)。
徂徠は里人の談の中にこの伝説を聞いて、興味をもってこの文を綴ったものであろう。
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