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北杜歴史講座 常陸からやってきた甲斐源氏 資料名 武田氏館案内
12世紀の初め、甲斐武田氏の先祖である源義清、清光父子がこの武田に館を構え、初めて武田氏を称したことが、志田諄一茨城キリスト教大学教授の研究、(勝田市史編纂事業)によって明らかになりました。市では私たちの郷土勝田市が甲斐武田の発祥の地であることを記念し。市民の方々が郷土の歴史に対する理解を深めるとともに、新しいふるさとづくりの拠りどころとなるよう「ふるさと創生事」の一つとして武田氏館を建設しました。(看板資料より)
常陸の国司が申すには、清光という住人がでたらめで、乱暴をはたらき、争いごとなどを起こして困っているなどと訴えてきた。詳しいことは別紙「目録」に記されている。
住人清光は、いうまでもなく武田冠者義清の子清光のことである。12世紀の初めごろの武田郷周辺の地は、常陸平氏の吉田清幹・盛幹父子をはじめ、鹿島神宮の中臣字などの在地勢力と、そこへ新たに武田の地へ居を構えた武田義清・清光らの勢力が張り合っていた。勢力拡張をあせった義清・清光らの行為が、在地勢力の反発を受け、清光「濫行」のゆえをもって告発された。とくに大治2年(1127)年に、義光が去ってからは、義清・清光父子に対する抵抗が 一層強まったことが考えられる。
義光没後の大治5年(1130)12月、常陸国司藤原朝臣盛輔らによって朝廷に訴えられたのである。しかい清光濫行事件の子細を記した目録がないため、その詳細を知ることができない。(看板資料より)
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