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江戸時代の甲斐伝説と民話、つみの御牧(小笠原・逸見牧関連記事)燕居雑誌(日尾荊)
かげろふの日記、御堂道長の長歌に、
かひなきことは甲斐の国、つみの御牧あるゝ駒のいかでか人は影とめむ、と思ふ者からたらちねの云々、
坂仲文が解環には、かひの国みつの御牧と直して、さて其説に、みつの御牧原本「つみ」とあり、契本に「つ」を「へ」と直して、和名抄甲斐国巨摩郡逸見郷を引り。今は則原本の「つみ」を倒せしと見て、昔より歌に詠馴し、小笠原美豆の御牧の義にとれり。且は原のまゝを倒して「みつ」とよまるまれば也。そのうへ六帖の歌、
小笠原美豆のみ牧に荒る駒もとればぞ馴るゝ子等が袖はも とあり。今は其意をとりて可ならむか。され共藻鹽草を関するに、顕昭が説にも、忠岑が十體にも、小笠原は甲斐の国なり。「みつ御牧は山城国淀の渡り也」。しかれども證歌には、「小笠原へみのみまき」と侍り。能因歌枕に「へみの御牧」とは、蛇に似たる色の麻の生ずる故にと。然るを堀河院百首に、顕仲が春雨の歌に、「小笠原みつのみまき」と詠みたり。是僻事歟云々。
古よりこれらの説あるにより、契沖は且き本義を正さむ為に、「へみ」に直されたらむなり。又契本の内一本に、六帖の歌を引けるも「へみ」とあり。流布の六帖誤多きものなれば、今の印本をも直して引かれしにや、されど原本に依て再案ずるに、沖にしたがへば何れの僻字の、へに取ても點畫の形最遠し、
「つみ」を打かへせば「みつ」なり。且本義にあらず共、詠習ひたるままに、詠むことも、昔より其例なきにしも非るべければ、此長歌を公の詠れしをり。何れに付かれたるも、今には計りがたけむ。今原本を直すの少きにとり、又は本義には背くとも、詩の和順なるによりて、姑く余が思のまゝに直せし、今此二説を挙置きれば、読人の好む方にしたがひ給ひなむと云れたり。瑜案ずるに、仲文此「つみ」の僻字の「へ」に取ても、點畫の形いと遠しとて、契沖師の定めしをさへに疑ひて、顕昭が僻心得をし、歌を徴にして打ちかへしたるぞ可咲き。こは原来「へみのみまき」なる事、和名抄にいへる如く、疑ふべきことに非ず。又「つ」と「へ」まがふべきも、いちじろき僻字あるをば知らでや有けむ。こはまさしく倍の草體□により誤て□と成りたる者也。萬葉にしきたへを敷多倍、とこしへを常之倍などの類あぐるに暇なし。此僻字だに知らずして、契沖を疑ひしは、いと鳴呼ならずや。
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