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江戸時代の甲斐伝説と民話、甲斐之字義 南嶺遺稿(多田義俊)
かひがねといふは、山のするどく立て、諸山に勝れ目立たるみねをいふ。山のかひより見ゆる白雲などよむも、絶頂にあるしら雲なり。甲州はするどく高き山多き故、かひの国といへりとぞ。或人の仰られしにつきて、よくおもへば、俗語に甲斐甲斐敷といふ詞有。又かひなきといふ詞有。甲斐々々しきは、しかと其功の見えたるを、山の高く見えたるに准らへ、甲斐なきは功もなきといふ心なるべし。植松宗南といへるは、甲斐産れの人にて、此人の語に、甲斐の国は、諸国に勝れて木の實のよき国なりといふ。斐の字、このみとよます字なり。夫故、斐にかうたりといふ心にて、甲斐の国と號( )。甲たるは第一たるの心なりとぞ。むかし斐( )仲太といふものありし事、宇治拾遺に見えたりと覚し也。斐( )たる君子ありと、詩経にあるも、其實有る君子也。論語に、斐然成レ一章( )をも、其實を備へて、しかと文章を成なりと心得べし。
山のかひといふも、此心得にてよむべきか。
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