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江戸時代の甲斐伝説と民話、松平西福寺(良雲院殿は武田萬千代信吉君の御母堂) 一話一言(大田南畝)
浅草西福寺、此寺の本願良雲院殿を此所に葬し奉りぬ。その因縁にて公儀御由緒あつきよし色々申立剰太神君及台徳尊公良雲院尼の御影を拝させたり、予も四月三日かの寺へ参詣して拝せり、此良雲院殿は武田萬千代信吉君の御母堂にて、武田信玄の女たる様にかの寺僧ども本尊開帳の節靈寳の席にて申立る也。
予於心中甚不審をこるによりて、大久保忠寄にかたらひかの實否を分明せん事を欲す。忠寄諸録を引考左の一帖を授與あり、因て其所以分明を得たり。
良雲院殿天譽壽清大姉
寛永十四年丁丑三月十二日卒去葬浅草西福寺
附札寫州葬所入口の門の上に浅野家の紋ありと覚え候今に浅野家の崇敬もある歟
右良雲院殿と申すは大神君の御妾にて、市川十郎右衛門女也、此良雲院一女を産し給ふ、此姫君蒲生秀行の室とならせ給ひ、後に浅野但馬守長晟に嫁し給ひたりと云々、左あれば竹田萬千代は良雲院殿の参し給ひたるにあらず。
長慶院殿〔或〕妙眞院日上
天正十九辛仰年十月六日卒去
水戸光国卿賜造建碑下総国葛飾郡小金邑今にあり、かの碑の文に、か下総国葛飾郡小金邑の采地にて病卒也、葬于郡之本土教寺 云々 日蓮宗身延山檀越也、法名號妙眞院日上とあり、且かの墳上に一松あり、土人呼曰日上松とみへたり。
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