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江戸時代の甲斐伝説と民話、白石書簡(大久保半五郎様 新井筑後守) 一話一言(大田南畝)
大久保半五郎様 新井筑後守
先日考被思食御芳訊忝奉存其後御近所過候事有之候へ共御約束に任せわざと不申入候き其後又満次郎様御出被下久々にて得御意候騒然その日は内容有之故に満々とも不申承千萬御残多次第候其節に御物語被成候閑家之系図御携御惜し被下熟覧候此方にて先年古文書のまゝにて見候時にうつしとめ候ものと考合候に系図の詞書符合候事もなく不審のものに候御心得のためにもと存候故に手前にうつしとめ候うち要文共少々うつし進し候御覧合せらるべく候甲州にて後閑の地を宛行はれ候よりして後閑と改めそのゝちまた上条とも稍せられ候事かと見へ候當時も後閑と申す地定めて可有之廐橋邊かいづれの郡に属し候やらむ此流はいかにも京兆家にて永禄の初年に本領を失はれしと見へ候彼本領は甲州より小幡に宛行られしと見へ候へば甲州の為に本領うしなひ降参の事に候ひしがまた北条家のために本領うしなひ候て甲州へ降参候又そのゝち北条へ属せられ候やらむ後閑の地までうしなはれ候はたしかに天正十八年北条亡ひ候時の事と見へ候本家にて古文書の終りと永禄の初年までとの間は三四代ほどの間にも可之候やらむよく御考御覧可被成候。
御物語の西上野の寺尾の地の郡はいかに寺の名いかに候歟秋元鳴瀬と同返候月齋家譜はわすれ候いつにても御次手に御書付可被下候。
満次郎殿いまだ御滞留に候はゞよろしく奉頼候桃井の家系の事被仰候き御帰郷之後御心がけ被下候様に申上度後閑系図即今返上候條御傳達可被下候此使は詰所へつかはし候故に御報を申請候に及ばず御取次にたしかに預置罷帰候へと申付候間不及御既報候以上
正月十五日
右得高橋氏所蔵写の府中
寛政戊午年正月念八 杏花園叟
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