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江戸時代に語られた甲斐武将たち『日本随筆大系』 井伊兵部少輔直政かたられしは、三省録(志賀 忍)
 むかし東照宮、甲州若神子の於て北条氏直と御対陣の時、ある夜大久保七郎右営門忠世かたより、只今若き衆うつよりてうまき料理に候、早々御出あるべしと申こさるゝにより、急ぎゆくむかへば、陣屋の出座に火をたき、自在鎰を下して、平鍋にふつゝかなるをかけて、根芋の葉も茎も、ともに糖味噌にて煮たるなり。座中には鳥井新太郎忠政、石川長門守康道、本多彦次郎康重、岡部彌四郎長盛、大久保新十郎忠隣など、焼火を取り囲み居らるゝ。七郎右衛門座をひらき、萬千代殿これへく
と請ぜらる。其芋汁いまだ煮えざるを、手々に椀を盛、舌うちして食ひけり。直政へも椀に堆盛てあたへたるをとり、少し喰けるに、殊の外あぢはいあしく、、食するに耐え難がたく、下にあきて居ければ、流石萬千代殿は、若き衆にて華美まりとて、みなく数椀あらそひ喰ける。七郎右衛門曰、萬千代どのいか
ゞして食し給はぬやとなり。これに少し醤油を入なばよかるべしと挨拶す。みなく申やう、それは奢なり、左やうなものが、今こゝにあるべきかとなり、又七郎右衛門申すは、いづれもよくこゝろえられよ。この芋汁の味のわるさをみな賞翫せられ候。手前の士卒これをさへ食することならず。わずか三合の米煮るもせぬ黒米を食ひ、寒苦をしのぎ、暑熱をいとはず、白刃に身をくだき、主人のために命をなげうちて、其ものゝ切なるところ、武道義理により、百姓はまたかやうのものを作り出し、辛苦して主君に収納し、士卒をやしなひ、かやうなるものもおのれが口に入ることならず。妻子も飢寒に及べり。さあらば大将たる人は、そのこゝろあるべきことなり。今屋形さま次第に敵国を多くしたがひさせ給はゞ、おのく大名になるべき間、只
今の芋汁の味を忘れず、士卒を撫愛し、百姓を隣愍あるべきなり。もしこのこゝろわすれ給はゞ、武道おこたり、君臣の義もうすかるべし。屋形様つねずね武道わするべからずとおほせらるゝはこゝなり。臂をはり眼をいからすといふにあらず。家業をつとめよといふことなり。家業の第一は士卒を愛するなり。さなければ大事の用に立がたしといひしを、今耳底に残りて感ずるとなり。(『故老諸談』)
 

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