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江戸時代に語られた甲斐武将たち『日本随筆大系』 武藤修理亮 三省録(志賀 忍)
武藤修理亮は武田信玄につかへて、槍をあらはすこと三十七度、分捕功名数しらず。信玄、勝頼二代の感状を得ること四十二通あり。勝頼戦死の後、小田原にゆき、関東の人に千騎に一騎とほめらるゝはたらき度々あり。小田原北条滅亡の後浪人せしが、福島左衛門大夫まねきむかへて、三千石の所領をあたへたり。関ヶ原一戦のみぎり、度々の功名をあげてかぞへがたし。元和四年正則滅亡の後、また浪人の身となりて、大津浦にまづしくくらし、馬の沓をつくり世わたりとす。折ふし上手にて、馬士ども武藤沓といひて用ひけり。人みなこれをわらふ。ある人いさめて曰、武具馬具を沽却そて世わたりの助とし給へ、武器(?武藤)沓と名をよばはるゝは恥なりといひけれども、かってきゝいれず、はたして加賀利常卿より三千石をたまはりて、武藤沓の恥をすゝぎ、一生槍の場数をいはずして老年を終る。 (『新武者物語』)
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