白州町情報最前線 サブやんのなんでもジャーナル

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農大柔道生活 我が生い立ちの序章 金丸信氏 自伝(昭和58年刊)
とくに、柔道部になると、それは、稽古は激しかった。自分でも、柔道だけは、誰よりもうまいという自信があった。国会議員の中には、柔道や剣道をやった人が結構いるが、わたしは、自分でもいうのはなんだが、強かったねえ。本当に、強かった。
 もう知っている人も少なくなったかも知れないが、柔道からプロレスに転進して、そう、あの力道山と雌雄を決した拓大の木村政彦君とも、よく稽古をしたもんだ。木村君は強かった。柔道だけなら、恐らく日本一だと思う。外国に、柔道選手権をとられることなどなかったと思うね、彼ならば。
 そのほかに、伝説的な人物になってしまった徳三宝さんや空気投げの三船久蔵さんも健在だった。柔道の最盛期だったかも知れない。 そんな中で、わたしも柔道界には鳴りわたっていたね。農大に、金丸信ありだ。こと柔道に関
しては、子供の頃から強かった。中学四年で二段だった。五年生が初段ばかりだったから、どうみても私の方が強い。五年生が、ある時、わたしを目の敵にして、総がかりでかかってきた。
 そんなことでひるむものじゃない。十人でかかってこようが、十五人でこようが、片っ端から投げつけてしまう。とうとう諦めて五年生もおとなしくなったが、我ながら強いと思ったもの。
 大学では、毛利松平さんが慶応で、わたしが農大、そして蔵前の工専(現東京工大)の柔道の先生をしていた飯塚国三郎さんという人がいて、三校の対抗試合があったこともあった。毛利さんも強かったが、わたしの方が強い。お互いに、国会議員になって、派閥は違うが、毛利さんとは、学生時代の友情がずっと続いている。お互いに、助け合ってね。この頃、講道館は後楽園に移り、黒帯になると、道場への入り口から違っていた。そこに、黒帯を下げて、意気揚々と入っていく。なかなかいい気分だったねえ。こんな調子だから、日本選抜軍には常に入っていた。
 その選抜軍を組んで、満州(いまの中国東北部)にわたり、オール満州軍と、大連やハルビン(現在の黒竜江省)などを転戦して歩いた。満鉄のスマートな列車に乗って、広い満州を走るだけで、武者修行に来たような気持になっ
た。当時で、総勢二十五、六人だったね。もちろん、木村君も一緒だった。わたしの得意技は、腰投げとか内股などの離れ技だ。だいたい、講道館は、「講道館のゾーキン踊り」とからかわれたように立ち技が多いんだ。わたしも寝技はやらなかった。国対委員長なんかやっていると、「先生は、寝技が得意ですか」とか「赤じゅうたんの寝技師」なんてからかわれるが、わたしは、寝技はしない。よく、竹下君(登氏)が、「ポクの柔道は寝技専門。試合が始まったら、すぐ寝ちゃうから相手も攻められない。要するに、引き分け要員だ」などと冗談をいうものだから、わたしまで寝技かと思われる。そんなことはない。
 講道館の百畳敷き勾道場を逆立ちして歩いて、筋力を養っていたんだから強いはずだ。柔道の話ばかりじゃまずいかな。

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