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狐塚から女王卑弥呼時代の銅鏡出土(資料『郷土史事典』山梨県 手塚寿男氏著 1978)
甲府盆地東南部御坂山脈北麓の曾根丘陵には、古代の遺跡が多く、縄文・弥生・古墳各時代の遣跡が分布している。各時代の土器・石器をはじめ、金属器も数多く出土し、主なものは大塚小学校内の三珠考古館(前項)に保存されている。縄文・弥生時代および古墳時代各期の土器類がまとめられていることが特色である。
この近くには大塚をはじめ、伊勢塚、エモン塚その他の古塚が現存しているが、破壊されてしまった三珠町鳥居原古墳(狐塚)から赤烏元年鏡が山土していることに注目したい。この鏡は明治二七年(一八九四)発見され、市川大門町一宮浅間神社所蔵の山梨県指定の文化財となった。大正一三年(一九二四)に故後藤守一氏によって学界に紹介され、昭和四四年(一八六九)にいたって鳥居原古墳の発掘調査が行われ、墳丘上から石室の一部と考えられる朱をつけた石を検出し、他に彩色土師器など若干の出土をみた。昭和四六年、九州大学岡崎敬助氏によって、不明とされていた銘文の解読に成功した。
「甲斐考古」八の一号「山梨県三珠町鳥居原発見の呉赤鳥元年四神四獣鏡とその銘文」によれば、呉代紀年銘鏡の用例から判読すると、
「赤烏元年五月二五日丙午造作明寛百凍清正銅服者君侯宜子孫寿万年」と読まれ、
「赤烏元年(二二八)五月二五日丙午の日に清明な鏡をつくり、銅を百度鍛えられた、この鏡をもつ者は君候となり、子孫はよろしく、その齢は万年におよぶ」
と判読されている。
赤烏元年は中国の三国時代(呉魏蜀)のうちの呉の年号で、西暦二三八年にあたる。邪馬台国の女王卑弥呼についての「魏志倭人伝」の記事によると、卑弥呼が日本から使として魏の国へ難升米らを送り、朝鮮の帯方郡を経て魏にいたり、魏の明帝より金印紫綬をさずけられた年が、西暦二三九年である。
鳥居原出土の古鏡は山梨県における最古の銘文のある鏡であり、邪馬台国の女王卑弥呼の時代であって、山梨の古代研究に大きな手がかりをあたえる貴重な遣物である。他県には兵庫県宝塚市安倉紺桜古墳出土の赤烏七年(二四四)銘の鏡があり、同時代につくられたものとしてともに有名である。
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