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壬申の乱に活躍した「甲斐の勇者」(資料『郷土史事典』山梨県 手塚寿男氏著 1978)
 
 「大化の改新」によって律令国家の基礎が定められたが、まもなく古代史最犬の内乱といわれる「壬申の乱」(六七二)がおこる。この乱は、改新政治を推進した天智天皇の死後、天智天皇の子大友皇子と、天智天皇の弟大海人皇
子が皇位継承をめぐる対立をおこし、大海人皇子は吉野に兵をあげ、近江犬津宮の大友皇子を擁する勢力と対立して畿内全体をまきこむ大乱となった。
 乱は、いち早く東国の軍団を味方にした大海人皇子方の勝利となり、即位して天武天皇となったが、この乱のおりに、東国の軍団のなかに「甲斐の勇者」がいたことは注目される。
 「日本書紀」天武天皇元年(六七二)の条に、「秋七月(中略)是の日、三輪君高市麻呂、置始連菟、上道に当り、箸陵に戦う。大いに近江の軍を敗り、勝に乗り兼て鯨が軍の後を断つ、鯨の軍悉く解走し、多くの士卒を殺す。鯨白馬に乗りて逃ぐ、馬深田に堕ち進み行くこと能わず、即ち、将軍吹負、甲斐の勇者に謂いて曰く『其の白馬に乗れる者は、盧井の鯨也。急に追いて射よ』と、是に於いて、甲斐の勇者馳せて射ることを得たり」という記事がある。ごの記事からだけでは、その身分などはわからないが、甲斐の有力者の一人が、大海人皇子の召に応じて国司の公権力を背景に部下をひきいて、はせ参じたものと想われる。
文中の「是の日」というのは、大和での皇子方の総師大伴吹負が飛鳥古京をおとLいれ、南大和を確保し、七月一日北進を開始した翌二日、紀阿閉麻呂、置始連菟らを将とする数万の応援軍が美濃の皇子方から大和にむかった。そのなかに甲斐の勇者もいた。四日大和で激戦が展開され、吹負の軍は破れて東に逃げたが、ここへ置始連菟らのひきいる援軍が到着し、吹負らは飛鳥へひき返すことができた。この七月四日が、吹負が近江方のために一時危うかったのを、挽回できた是の日である。
 また甲斐の勇者が、深田に落ちて動きのとれなくなった敵将盧井鯨を吹負の命により討ち取ろうとしたが、鯨は危く逃げることができたという記事である。
 大和朝廷の勢力の発展や、はるばる参戦した甲斐の豪族の実力と意気の高さを物語るものとして注目される記事である。壬申の乱後の急速次俸令国家建設にともなって、甲斐の地方豪族層による農民支配はよわまり、中央の支配が直接加えられるように変っていくのである。
 

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