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上杉禅秀の乱と甲斐の国 二、乱後の甲斐の国
1 甲斐源氏巨頭の相克
こI世紀のはじめ、甲斐に入国した源義消と消光父子は逸見若神子に住み逸見氏を称した。消光は嫡男光長に逸見庄を譲って甲斐源氏総領逸見太郎と名のらせ、二男信義に武田庄を与えて武田太郎と名のらせた。信義は器量光長を凌ぎ、光長は総領職を信義に譲った。信義の子孫は甲斐守護として甲州に君臨するが、一方繊かに逸見庄を領して鎌倉府に出仕する身分に零落したことを恨み、いつかは武田氏を絶やして甲斐を支配しようと、機会を窺っていたのが逸見中務丞有直であった。
禅秀の乱に、有直は全力を傾けて持氏に協力した。持氏が本意の上は有直に甲斐を与え、守護に補任する旨を兼約していたからである。
信満を倒した持氏は幕府に対し、逸見有直を甲斐守護に補任されたい旨、要請した。幕府は、武田氏の旧功を思い、持氏の要請に応じなかった。しかし有直は持氏の援助を楯に甲斐の施政を推進した。
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