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白州町歴史講座 南北朝時代の甲斐守の動向(白州町誌)

 南北朝時代甲斐国内も南朝方、北朝方に分れてその権益を争つたが、その多くは足利氏に従属する北朝方の勢力下にあった。後醍醐天皇の第三皇子宗良親王は、南朝の勢力挽回のため密閉していた。興国六年(一三四五)(北朝貞和元年)秋、駿河より甲斐に入り武川路を経て信濃に向う途中白須の松原で旅のつかれをいやされた。その時の歌に、
  かりそめの行きかひ路とは聞きしかど いざや白須のまつ人もなし (李花集)
 南朝方に呼応する者もなく、待つ人もなき親王の心境が偲われる。
 信春のあと甲斐の守護となった武田信満は応永二十三年(一四一六)十月、娘婿の上杉禅秀の乱に加担したが、足利持氏の軍に追われ、翌年二月六日甲斐の木賊山で自刃した。信満の敗死で武田一族の逸見有直が実権を握り、信満の子武田信重と叔父の信元は甲斐をのがれて高野山に入山した。幕府はそのことを知って信元を甲斐守護に任ずるが、信元間もなく死亡し、養子の伊豆千代丸が跡目を継ぐが逸見一族の勢力が強く、まったく守護は無にひとしかった。そこで幕府は武田信重を守護に任ずるが信垂は甲斐の国情を知って固辞して身を隠し再起の時期を待った。信重の弟で伊豆千代丸の実父である武田信長は甲斐有直・足利持氏の軍と戦い、猿橋にて防戦したが敗れ鎌倉足利の軍門に降った。


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