白州の歴史講座 馬場美濃守信房 『姓代家系大辞典』
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清和源氏の後裔甲甲斐国教来石に移りて教来石(敬禅寺)氏を称す、駿河守信明に至り武田信明の婿となり馬場に改む。
その男遠江守信保、
其の男美濃守信房なり。
信房は初名景政また氏勝、民部少輔と称す。その族馬場虎貞武田信虎を諌めて殺される。信玄に至りその後無きを燐み氏勝に遺跡を襲がしめ、信の字を賜いて美濃守信房と名乗らしめ、又信春と云ひ、後に信勝という。
信濃国更級郡牧野島城は一に牧島城とも云う、牧野島邑(牧郷村)にあり、永禄五年八月廿八日、信玄、馬場民部景政に築かしめ百五十騎にて守らしむ。又三河国設楽郡市場村古宮城は馬場氏の縄張、又遠江国榛原郡諏訪原城は天正元年秋築く馬場美濃守の縄張也と、その他多し。天正三年五月二十一日長篠役に戦死す。
その子民部信春は一に昌房と称す、天正の初めより深志城(松本城)を守り、天正十年三月織田の兵に攻められ甲斐に帰りて死せし如し。一族江戸幕臣となり、寛政系譜此の流五家を収む。家紋割菱。
二男善五兵衛信頼(隼人)信房の嗣となり、甲斐を去り和泉国(現在の大阪府の南部にあたる旧国名)淡輪に任す。その子が駿河信久也、又巨摩、山梨、八代の諸郡に任し、甲府朝気村の馬場氏は美濃守後裔と称す。
以上は姓氏家系大辞典によるものであるが甲斐国志士庶の部に「馬場美濃守ノ孫同氏部ノ末男丑之介壬午ノ乱ヲ避ケ其ノ母卜供ニ北山筋平瀬村ニ匿ル、後朝気村ニ移居シテ与三兵衛卜更ム、其ノ男四郎右衛門、其ノ男善兵衛元禄中ノ人、今ノ彦左衛門五世ノ祖ナリ」と記しているのは同一家系のものであろう。
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