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白州の歴史講座 馬場美濃守信房の活躍と築城 白州町誌
田中城は馬場信奉の縄張りによったものである。信玄上洛に際しその座城として、清水の縄張りのごとく馬場信房に縄張り致さすべしといったという(武田三代軍記)。馬場美濃守は築城の名手でもあった。
元亀三年(一五七二)十月、馬場、山県隊の甲軍徳川方の中根平左衛門正照、青木又四郎広次らが籠る二俣城(天竜市)を包囲した。この城は天然の要害で防備も固く容易に城内に踏み込めなかつた。馬場信春は、尋常な手段では城は落とせない、城で使っている天竜川の取り入れ口を破壊し城内を枯渇させる作戦にでた。水の手を止められた二俣城は忽ちにして混乱が起きた。それでも一カ月以上も堪えたがついに十二月十九日夜、城将中根正照は城門を開けて武田軍に降伏した。
この時、浜松城にいた徳川家康は二俣城を援けようとして自ら数千の兵を率いて城に向ったが、武田の包囲陣の現状に、とても勝ち目はないとみて神増村まで来て滞陣していた。武田勝頼、馬場信春、山県昌景ら武田の部将は、「天下に旗を揚ぐるの手初めなれは信玄の大事是にすぐべからず」と(武田三代軍記)三方ケ原において徳川軍と戦う。家康破れて敗走する。武田軍は家康と鳥居元忠ら旗本衆のあとを追撃し、浜松城が間近に迫る犀ケ崖を下って城門近くまで追跡したが、家康はやっとの思いで城内へ逃げきつた。家康は「武田随一の馬場美濃に切崩された」と、馬場美濃守の武勇を称讃している(武田三代軍記)
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