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【柳沢吉保の父 安忠】吉保佞臣説の拠り所(五味康祐氏著 一部加筆)
信俊の四男を十右衛門安忠という。柳沢吉保の父である。安忠は十三歳で秀忠に謁し、父の遺領百六十石を拝領した。大坂の陣には秀忠の手に属して働いた。のち駿河大納言忠長(三代将軍家光の弟)に付けられた。この忠長が、いわゆる乱心・自殺の事件をおこしたため、家臣らは責を負って公儀を遠慮し、安忠もー時浪人していたのを、寛永十六年(一六三九)十二月、家光にゆるされて再び百六十石の采地を賜わり、御広敷番をつとめた。慶安元年(一六四八)には七十俵を加増されて三の丸の御広敷番頭となり、のち当時は館林殿と称された綱吉(家光の第三子)の勘定頭をつとめてしばしば加恩あり、五百三十石を得るにいたった。この安忠は長命で八十六歳まで生きている。でも五百三十石取りでは幕臣としては下級にちかい。
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