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 柳沢吉保 慎みが肝要(五味康祐氏著 吉保佞臣説の拠り所 一部加筆)
慎みが肝要
「すべて、慎みと申すことが第一なりとかねがね家臣に諭されていた。今のわが身のつとめ柄、また将軍家の御寵愛を賜わる立場であれば、おのずと家来どもも外に出たとき、わがもの顔に振る舞いたくなるであろうが、断じてさようなことがあってはならない。大道を往く時も、なるべく道の端を通るぐらいな慎みが肝要である。お供の面々もこの点は十分わきまえおくようにと、つねに支配頭へ御意なされたので、柳沢家の家士に限って、他処でがさつな振る舞いをしたものはなかったのである。
 また家中の諸士には、つねに風俗よく礼儀正しくコレ有るよう心づけよと訓されていた。家士の風俗で主人の心根は知られるものだから、と。
 余談ながら、行往坐臥、殿ご自身の素行はきわめて実直で、ふだんでも膝をおくつろぎ遊ばすのを見たものはない。食事中はもちろん屹度(きっと)正座をしてお食べになった。昼休息の時もけっしていぎたない扮(なり)をなされたことはなかった。御針治の後、暫時身を横になされていたくらいである。夜は表にはかり御寝になり、奥(女中どもの暮らす局に泊まられたのを知らない。
 言葉は心のあらわれなりと申されて、つねに言葉づかいには心を尽くされ、近侍のものらは申すに及ばず、御坊主どもにもいたって丁寧な物言いをされた。
 武芸に精進されたことは前に述べたとおりであるが、学問にもきわめてご熱心で、日々登城の勘は御用忙多でお暇はないにもかかわらず、わずかなお手すきには儒書ならびに歌書をひもとかれた。毎月の歌会には必ず出席なされたし、元禄十五年(一七〇二)には北村季吟より『古今集』の教授をうけられた。同十六年には、百首の和歌を詠んで仙洞御所の叡覧に供し奉られている。
 日常、お側には硯文庫に糊入れと四半紙を常備され、かりそめの御用を仰せつけられるにもいちいち右の紙に書いてお渡しであった。こうすればまちがいがおこらぬからと。
 また、御用向きの儀につき、家臣らが御側衆を通じて意見をおうかがいすることがあると、直接、会って申しつけられた。きわめて些細なことなど人づてに御意なされてもすむことながら、なにごともおじきにうかがえば、その時のお顔の様子などから御意を呑みこみ早いものである、とかく主人の御前に出て、相互に顔をつないでおくのもつとめの第一であるとの御意からであった。だからよほどの病気でないかぎり、家士らも引っ込まずに御前に出て、おつとめを励んだのである。
 
柳沢吉保 領民への思いやり(五味康祐氏著 吉保佞臣説の拠り所 一部加筆)
「殿が御登城また退出遊ばす時に、百姓町人がお駕寵へ訴状をさしだすことがたびたびだった。駆け込み訴えである。お座敷まで参るものもいた。本来ならばゆるされぬ振る舞いながら、これをことごとく聞き入れに相成り、目付役に出合わせて、町人は町奉行、百姓の訴えは勘定奉行まで内意を遣わさせ、けっして訴状人に迷惑のかからぬよう配慮された。また代官にも余程の邪悪な人物でないかぎり、その役目怠慢にならず事すむよう配慮されたのである。
 元禄年中、諸国飢饉で、川越領中の百姓どもも大いに難渋した節には、御救米をくだされ、領内の役人衆に下知して餓え候ものをお調べのうえお救いなされたから、その慈悲深い御政治向きに領民らが感謝したことはのちのちまでの語り草になっている。
 またこうした仁心あつく、憐憫(れんびん)の情を下々へ細やかに遣われたのはすでに館林にて勘定奉行をつとめられたころからで、当時、処刑の決まったものを御容赦なされた例は何人もあった。風流で名代官といわれる某も、そのころ、罪をゆるされたものの子である。
 領内百姓町人で、八十歳以上の男女に米一俵ずつ、御祝儀としてくだされたこともあった。
 つねづね、百姓には、掛かり物多きか少なきか、多くば代官の仕置き悪しきゆえなり、と内証で尋ねられ、なにほどの掛かり物コレ有るか遠慮なく申し越すようにと申されていた。
 また領内村々で、蔵畳敷の数を調べベ、蔵のある所はともかく、蔵のないのは荒地のためではなかろうかと、領内くまなくこれを調べさせられたことがあった。しこうして、蔵屋敷のない村は年貢の割付けを吟味するよう代官まで申しつけられた」
【律義者の吉保像】
以上が、家臣の書き残した吉保の言行である。これでみると、いかに柳沢吉保が文官として器量のととのった人物だったか、少なくとも将軍家の寵愛をかさに、威張り散らすようないわゆる茶坊主的臣ではないことがわかると思う。
 新陰流は将軍家の兵法なれはと、稽古の際にも戸を閉め立てたこと。その兵法書を箱におさめ鍵をかけていたこと。日常、膝を崩すこともない慎み深さ、供侍にまでがさつの振る舞いなきよういさめた態度。領民への思いやり。どれひとつをとっても律義すぎるほど律義で、お上大切と心が止りた実意ある武士の像しか浮かんでこない(総じて上司におべっかを言い、ゴマすりを得意とする手合いには万事に抜け目のない小才子が多いものである。そういう小賢しい徒輩に限って、虎の威をかる狐で、陰では威張り散らし、かつ上司のいない場所では立居振る舞いも横柄で、いたって残忍なものである。すなわち吉保とほおよそ別なタイプの人間である。
 要するに吉保は、自分を登用してくれた将軍綱吉に一途に忠勤をはげむ体の人物だったので、世人の羨望を買う出世をしたのも、綱吉におもねったからではなく、綱吉白身が吉保の実直さ、律義さを愛でて異数の出世をさせたとみるべきだろう。しかも、正しいことはたとえ将軍家の意にそわずとも、あくまでも正しく筋目を通す実直さをも吉保はもっていた。
 それを物語るのが次期将軍たる家宣の擁立と、赤穂義士の処分に関する正論の吐露だった。

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