白州町情報最前線 サブやんのなんでもジャーナル

山梨県・北杜市・白州町のありのままの姿をジャンルを問わず綴っていきます

全体表示

[ リスト ]

柳沢吉保 家宣、擁立問題【虚説・柳沢騒動】(五味康祐氏著 吉保佞臣説の拠り所 一部加筆)
世に柳沢騒動と称される事件がある。「御屋形様」たる吉里を、じつはわが子でないのに吉保は綱吉公の落胤と偽り称して、次期将軍に推し立て、その身は百万石の大守たらんと策謀したというのだが、これがいかに虚妄の説かは前述した吉保の言行によっても明らかだろうと思う。
 でも、世間にそういう浮説の流れるのにはそれなりの理由があった。まず藤井紋大夫のお手討ちである。紋大夫というのは、もとは幕府の御能役者の子で、将軍綱吉は琴・三味線などは嫌っていっさい退けた。しかし、能楽は愛好されたので、紋大夫も最初は能役者であったのを、水戸の西山公(光圀)の御意にかなって水戸家でだんだんに取り立てられ、のちには八百石を頂戴して家老格にまで用いられる身分になった。そうして光圀の孫である吉孚(よしたか)に付けられた。ところが、しだいに紋大夫は慢心してついに非望を企て、光圀・綱篠(つなえだ)父子、綱篠は光圀の子で、吉孚の父の離反を策して水戸の政権を牛耳ろうとするいっぽう、縁者の娘を柳沢吉保の妾にさしだしてその歓心を買い、光圀公は乱心めされたなどと密告した。そうかと思うと、水戸の藩士らには、吉里殿はじつは将軍家御落胤であると言いふらし、次期将軍に吉里を擁立する運動を名目に水戸藩で与党を募った。これには連判状まであったというが、そんなことから、光圀のお手討ちにあった。
 時に貞享二年(一六八五)十二月十八日。光圀は水戸西山の隠居所から突如、江戸邸に出向いて紋大夫を手討ちにしたという。
 水戸側の記録では、この手討ちの前例の生類憐みの令が流布された直後、当時、西山に隠居中の光囲は悪獣狩りと称して獲った獣のなかから、犬の皮二十枚ばかりを精製し、これを江戸の柳沢吉保に贈ったというが、悪犬を殺すのはともかく、その皮を精製して贈るとはなんたることか、さては水戸老公は乱心めされたかと幕府でも大騒ぎになり、将軍家に昵近(じっきん)する吉保へいやがらせしたことになっている。かつは生類憐みの令への痛烈な批判をなしたと世人も解釈したらしいが、生類憐みの令への批判はともかく、吉保へのいやがらせというのは違う。
 なぜならこの騒ぎのあった貞享二年には、吉保は出羽守と改めてはいてもまだ都合千三十石の家臣にすぎない。
 大名に立身するのは元禄元年(一六八八)からで、そもそも「生類憐みの令」の流布されるのに吉保は参画したわけではなかった。天下の法令を、幕閣老中をさしおいて千三十石程度の輩に献策できるわけはなかったのである。
 そのかぎりでは、天下の副将軍ともあろう光圀が、わずか千石余の小身者にいやがらせをするというのも異常で、よし将軍家への面当てにせよ、絞大夫と吉保の結びつきを壟断(ろうだん)するのが真意だったろうと考えられる。
 でも、この紋大夫お手討ち事件がかえって世間に、将軍家の吉保に対する寵愛ぶりを印象づけ、あわせては根も葉もない柳沢騒動を後世に虚構させたのだから皮肉である。

.

過去の記事一覧

白州町地域なんでもジャーナル
白州町地域なんでもジャーナル
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事