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古道 東海道 伝説時代(太古)
駿河国→足柄峠→坂本(関本)→(約4km)松田→箕輪→矢倉岳下→山北→師長国に至る
奈良時代以前の当時は、酒匂川の河口は松田付近にあって、入り海が深く入り込んで いたと考えられている。地質時代の酒匂川は丹沢山地を出ると西に向かい、駿河小山 を経て黄瀬川の流路をとって、駿河湾に注いでいたと考えられている。
足柄平野(酒匂平野)は箱根火山の大噴火で生じた二度のカルデラの形成があり、その後に大磯丘陵との聞に漸層帯(神縄断層)が生じて、酒匂川流域は沈降地帯として海が深く入り込んだ。これと共に酒匂川の流路は向きを変えて東南に向かい、松田 付近が河口に成ったのである。
〔町田ほか〕従ってこの付近には千津島・上島・金井島・吉田島・牛島などの地名が多く残り、往時は水に囲まれた鳥であったらしいことが判る。確かに酒匂川は暴れ川で、瀬平合戦の始まりである瀬頼朝の旗上げ(治承四年・1180)に駆けつけようと酒匂川まで来た三浦の一党が、酒匂の洪水で渡河できずに、石橋山の合戦に間に合わず、頼朝は敗れて房州に逃れたことは有名であるが、その暴れ方の大半は富士山の宝永の噴火以降であり、降り積もった大量の火山噴出物が 大雨ごとに押し出し、流路が定まらずに流れ、次第に流域が伸びて、今日の姿に成ったと考えられている。松田付近の渡河は平安時代の中頃まで本道として使われて、以後は矢倉択古道或いは往還として、後世まで使われた。平安中期頃は入り海も退き始め、もっと下流で渡河したようである。
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