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白州町の神社
神社の歴史 原始宗教
人間の生活にとって自信と信仰は不可欠の要素である。人類未開の時代には太陽が東の空に昇ることから月の満ち欠けなどにまで、崇高の念を払い、噴火や暴風などの自然の猛威の前には生命の安全を祈り、山、川「草、木、石などを神聖視した。またその時代はまだ精とか霊というものを考えず、自然や自然現象を単に外観的にとらえ判断したため、山、川、草、木、石から鳥獣などの自然物をはじめ、風、雷、火や太陽、星などの自然現象や天体運行まで、すべて神意による神の仕業と解釈した。この不可思議の現象に対して恐れと畏敬の念を抱き、時には喜び時には不安感を増す神威的現象に対して、自らを慰め、自らを安んぜるために生まれたのが原始宗教だと考えられる。
このように自然の驚異と自然崇拝から発生した原始宗教はやがて心と肉体・霊魂と物質という二元的考えにたって、諸現象の根底には霊威を引き起す霊魂とか精を認めた。精霊信仰。即ち山には山霊があり、川には川の精があるようにすべての自然物や鳥獣に至るまで霊や精が宿るものと考え、また民には風霊、・火には火霊があるように風、雷、火、太陽、星などの自然現象に至るまで霊魂の仕業と考えて霊魂の存在を認めた。そしてそれらの霊魂は絶対的な力を現わすものと考えた。この超
人間的霊威現象に対して、神への融和。と慰撫を図り、自らを安んずる心情と行為が原始宗教となり、信仰行為となったが、時代の推移とともに信仰方法もまた変遷したものと思われる。
例えば、そびえる山の峰そのものを崇拝の対象とした山岳信仰。狩猟生活中心の時代には狩猟神が、農耕中心の生活になれば作物の豊凶をつかさどる農業神がまつられ崇敬されるようになった。
縄文時代の生活が狩猟中心に対し、弥生時代の生活は稲作などの農業生産をする定着型住居群となって祖霊信仰を生み、さらに穀物の生産意欲が穀霊信仰となって、産霊神、産土神の信仰へと発展した。かくして祖霊信仰は鎮守神や氏神となり、また仏教とも結合して、今目見られるような先祖供養や葬祭儀礼へと受け継がれたものと思う。
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