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白州町の神社 宮(みや)
「宮」とは神祭の場所に、時によって臨時の屋舎を設けたものをいったのであるが、後には祭祀のために常時屋舎を設けたものまでいうようになった。この宮の最初の彩態は御神体、御霊代、御神宝を奉安する所をいったのであるが、さらに神祭のために設けられた仮りの屋舎を指すように変化し、時代の経過とともに祭礼も順次恒例化が進み、やがて官も定着化したのである。
当初一度行なわれていた「新嘗祭」から年二度行なわれる「祈年祭」と「新嘗祭」となり、さらに春夏秋冬の四度の祭から年十二回の「月並祭」となり次第に二十四回行なわれる祭にふえるに従って、臨時の仮宮から順次常設の「宮」へと推移していったものとみられる。このことは経済的理由もあって、初期のころには中央において多く行なわれていたが、やがて各地に集落がおこり、信仰心が高まるに伴なって地方にまで波及していったものと考えられる。日本固有の神社建築は、古来素朴で
あったが、飛鳥時代以降においては寺院建築の壮大さが、神杜建築にまで影響して、その建築様式も次第に壮大になっていった。「延喜神名帳」によると、「宮」と称することを許されていた神社は、伊勢の大神宮(皇大神宮)と度会宮(豊受大神宮)のほか九社あり「神名帳」に載っている全国の神社数は2861社で、前記11社以外はすべて社号で呼ばれていた。これらは平安初期にかける国家公認の神社であり、このほか地方にも数多くの神社があったと考えられる。
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