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白州町内の神社 横手、巨麻神社(旧村社)
鎭座地 横手一六七四番地
祭神 建御名方命・大山・大山祗命
祭日 九月二十四日
年祭 三月二十三日、
由緒
当杜創祀の年月はつまびらかではないが、寛政五年(1793)四代の神主古屋三河の記録によれば、西方に聾え立つ駒ケ嶽の麓
宮沢の地に土盛りをし、塚を造ってそれに幣帛を捧げて、祭りを行なっていたので「巨麻神杜」というようになった。後に仮り宮を造ったがしましばこわれるようなことがあったので、石宮に替え祭祀を続けた。後世にたり集落の近く本村「上の山」に鎭座したが、享保十三年(1728)用水路開襲工事により、部落の多くが新居組に移住したので宝永年問(1704〜1710)新居の西方愛宕杜境内現在地に遷座した。
慶長八年(1603)三月一日、徳川幕府の寺杜奉行の黒印状によって社領一石五斗一升を寄進された。
明治五年(一八七二)上知、同六年に村社に列せられた。
明治四十一年四月一日、藤島上切にあった無格社山神社を合併している。
現在の本殿は宝永三年十一月建立、拝殿は寛延元年(1748)三月改築のものである。
杜殿建造物 本殿・本殿覆崖・拝殿・渡殿・石鳥居
現社地 一四九五坪・山林一反八畝
氏子 ニ八○戸
神官 今橋康三
〔北杜市指定 サワラの大木〕
その他境内に樹高四〇メートル、目通り二・九〇メートルのサワラの大木があり、昭和四十八年十二月白州町天然記念物に指定された。

白州町内の神社 横手、王太神社(旧村社)
鎭座地 横手二五四〇番地
祭神 日本武尊、大日霊貴命
祭日 九月二十四日春祈
年祭 三月二十三日
由緒
創立年月日はさだかでないが、日本武尊御東征のみぎり御休憩遊ばされたその跡に社殿を建立したと伝えられる。一二一代霊元天皇(1671〜1696)以前であることは棟札によって推測される。寛文十三年二月(1673)造営と棟札に記されている。また宝暦三年十二月六日喜兵衛造営の棟札があり、なお明治二十七年九月二十三日、大工伏見喜兵衛造営と記されているので再三改築されたものと思われる。
社殿建造物 本殿・本殿覆屋・拝殿・渡殿・両部型鳥居
現社地 三六六坪
境内末社 山神社・天白社
氏子 二二戸
神官 

白州町内の神社 花水、白山大神社(旧無格社)
鎮座地 花水二〇四〇番地
祭神 菊理姫命・いざなみのみこと
祭日 四月十八日
由緒
口碑によれば、当村城山に清光の弟清泰城を構え大官大神宮社を修復して武運の祈願所としたとき、里民愛撫のため御祭神二柱を鎭座して、社殿を建立し白山大神社と称し、縁結びの神、五穀豊穣を祈願したといわれる。
天正・慶長年間武田将士の崇敬厚く、武将の杜殿修理寄進の棟札も現存する。爾来里民の信仰も深く近隣より参拝者も多く白山講杜を結成し、例祭日は神楽の奉納、講員の参拝などでにぎわう。
社殿建造物 本殿・拝殿・神楽殿・調度所・社務所・鳥居
現社地 一二六坪
氏子 一四〇戸
神官 
その他
菊理姫は白山媛神ともいわれ、イザナギノミコトが伊イザナミノミコトを追って黄泉国にいたり、黄泉平坂で行き詰まった際、この姫が仲裁に入って両者納得に導いたという。菊理媛が掌に蛇を載せているのは、神仏習合による白山妙理権現によるもので、加賀白山系に源を発する九頭竜川などの結びつきもあるかもしれない。
白山神社は峡北では、韮崎市神山町鍋山・明野村上神取・長坂町夏秋・白州町花水の四社である。

白州町内の神社 花水、大宮大神社(旧村社)
鎮座地 花水四七九四番地
祭神 大己貴命(社記には大宮比売命とある)
祭日 四月十九日・九月二十九日・感謝祭十一月二十九日
由緒
「峡北神杜誌」には口碑として、黒源太清光の弟逸見四郎清泰(不明)が、当村城山に城砦を構え一寺を建立して清泰寺と称し、さらに当神社を修理して祈願所とした。以来武将の信仰厚く天正十年(1582)織田信長甲州進撃の際は、その臣滝川一益・烏丸光広らを本社に向けて祈願状を奉献させた。慶長八年(1603)徳川氏から社領三斗四升寄進、社地三七五坪とあり、また武川衆曲渕庄左衛門が社殿を修理したという。
百二代後土御門天皇の文明六年(1474)以降、いくたびか社殿の修理や改築をしたが古代の彫刻をあしらい壮麗美術的建築や壁画などもあったが、大正十五年(1926)八月二十五日火災のため、社殿悉く烏有に帰したため昭和二年本殿・拝殿を再建した。
杜殿建造物 本殿・拝殿・両部型鳥居・石灯籠
境内末社 天神社・稲荷社・道祖神社・蚕玉社・秋葉社
現社地 六一六坪
氏子 八〇戸
神官 
その他
両部鳥居は神仏混溝の神社に多く建てられる。柱の前後に控柱を設け本柱と控柱との問に貫(ぬき)をつけたもの。

白州町内の神社 台ケ原、荒尾神社と田中神社
鎮座地 台ケ原二二九六番地
祭神 罔象女命(みずはめのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)
たけるのみこと
旧社 領高一石六斗八升
祭日 九月二十三日
由緒
〔台ケ原の発祥〕
いつころの勧請かは定かでないが、菅原村誌によれば、およそ六百年前(室町時代)に山高信重が一族をつれて、中山の麓根古屋の地に、集落をつくったとあるのでそのころの発祥と推定される。
しかし山裾で農耕には適せず、加えて尾白川の氾濫などで住みにくくなり、村人は花水・台ケ原・竹宇などに土地を求めて次第に離散した。
「激流祠前ヲ過ル故荒キ尾白川ニ臨ム意」(甲斐国志)にて荒尾神社と命名、武田・徳川両氏にわたって、社領一石六斗八升寄進の黒印状とともに尊信されていたが、住民不在となり、祭祀も不如意のため明治四十三年(1910)一月二十五日、台ケ原の田中神杜境内、神明社外十一杜を合併、大正三年(1914)四月五日、その境内に遷座した。(もとは中山の麓にあった)
〔田中神社〕
相殿の田中神杜は、除地四畝二十四歩、祭神は大已貴命と媛太神で、馬場美濃守の産土神であり安産の神としても近郷まで知られていた。この拝殿は江戸時代に、「お茶つぼ道中」の宿舎に当てられ、二回修造料として各拾両宛拝領の記録がある。
甲斐国志に「此ノ拝殿昔時ハ毎年御茶壷一泊ノ処ナル故ニ修造料トシテ金十両宛二度拝領セリ、慶安五年六月立札ノ写ニ御茶壷毎年当社拝殿御一宿候間拝殿並ニ御番所柱壁等落書一切仕ル間敷候、総而穢ラハ敷者並ニ乞食非人等昼夜不可集リ居ル候事トアリ、其ノ後御茶壷通行相停リ、今ハ形バカリノ拝殿ナリ、見聞雑事ニ御茶壷通行ノ停々リシハ元禄三年ナリト見エタリ」とある。
社殿建造物 本殿・拝殿・石鳥居二基・石灯籠七基
現社地 六〇九坪 山林四反六畝二歩
宝物 荒尾大明神々号額(神抵官領長ト部朝臣下賜)、
四奉行神領覚(慶長八年(1603)三月一日)、
社殿再興棟札(元禄十六年(1703)十二月二十三日)
境内末社 八坂社・琴平社・熊野社・八幡社・山神社・道祖神社・庖瘡社・伊勢社・愛宕社・天神社・
氏子 二二六戸
神官 今橋康三
その他
〔虎石・虎舞〕
境内に虎石というのがあり、古くから台ケ原では獅子舞を禁じ、正月十四日の道祖神祭には、虎舞という全国にも数少い民俗行事もあった。


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