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◇白州町の歴史 甲斐源氏の勃興 (『白州町誌』)義清(武田冠者)・黒源太清光
義清は武田郷に拠って武田冠者と称した。その後義光は近江に帰り、大治二年(一一二七)十月二十日、八二歳の生涯を終えた。時に義清五三歳、孫清光も一八歳であった。義光の死を知った吉田清幹らは一斉に反武田の旗をひるがえした。もともと武田郷周辺は常陸国三の官吉田神社の神領で、常陸大像の一族である吉田清幹・盛幹父子の支配地であった。そこへ義清が割り込み、その子清光までが若さにまかせて横車を押すというわけで、吉田清幹父子と対立していた。しかし義光存命中は隠忍していたが、義光の死とともに反逆にでたのである。
大治五年、常陸の国司が清光を濫行のかどで告発した。この告発は朝廷で受理され、審理の結果、翌天承元年に甲斐国市河庄に配流ときまった。時義清五七歳、清光二一歳で、清光には大治三年生れの光長、信義の二子があった。義清・清光父子は市河庄に土着し、平塩岡に居館を構えたが、やがて祖先甲斐守頼信以来庄園が経営されてきた峡北地方に拠点を移し、義清は逸見冠者刑部三郎、清光は逸見黒源太と名のった。義清は清光のよき助言者として活躍し、父子は在地の豪族たちと友好を結び或は懐柔し、時には威圧して着々と所領を拡げ、入国して十年を経たころには峡北一帯を従えた。保延六年(一一四〇)清光は光長・信義二子の元服式を挙げた。
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2011年05月28日
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◇白州町の歴史 甲斐源氏の勃興 (『白州町誌』)新羅三郎義光
頼義の三男が義光である。義光は天喜五年(一〇五七)生れで、近江国園城寺の新羅明神の社前で元服したので新羅三郎と名のった。やがて左兵衛尉に任ぜられたが、後三年の役が起るや官を辞して奥州に下り、兄八幡太郎義家を援けて乱を平定した。その功により刑部丞に任ぜられ、ついで常陸介となり、やがて甲斐守に任ぜられた。
義光は、広大な火山裾野をもち古代から三御牧があり未開拓地の多い峡北に注目していた。そのころすでに逸見郷は庄園化して逸見。熱那・多摩の諸庄となっていた。義光はこれらの庄に私牧を獲得し、広大な原野を庄園とするとともに、逸見郷に大八幡庄を起した。
この地域は八ケ岳南西山麓で、現在の長坂・小淵沢。高根。大泉にわたる地域で山麓に豊富な湧水があるため、早くから田畑も発達し馬と食糧の豊富な地域であった。
甲斐国志古跡部に「相伝フ新羅三郎義光ノ城蹟ナリト云フ、村西ノ山上ニ旧塁三所アリ云々」とあり、多摩庄の若神子に居館を構え、要害城として若神子城(大城)を築いたものと思われる。この付近にある八幡官は、この甲斐源氏によって勧請されたものと思われ、大入田の八幡山にある八幡官、上黒沢の八幡官、村山西割の八幡官などは義光とその子義清によって遷宮された由緒を伝えている。
義光は甲斐守の任期を終えて近江に帰ったが、再び常陸に移っていった。常陸は甲斐よりも逢かに豊かな土地であったから義光はその子たちル常陸に上着させようと考え、長男義業の妻に常陸の豪族吉田清幹の女を迎えて懇親を結び、義業の子昌義を久慈郡佐竹郷に、ややおくれて三男義清を那賀郡武田郷に拠らしめた。前者が清和源氏佐竹氏の起りである。
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◇白州町の歴史 甲斐源氏の勃興 (『白州町誌』)源頼義
長元四年四月、頼信は子頼義とともに征討に向ったが、かねてから頼信の武名を恐れていた忠常は戦わずして頼信の軍門に降った。頼信はその功により美濃守に任ぜられて甲斐を去るが、その子頼義も甲斐守に任ぜられた。頼義もまた名将でよく民をなつけたから二代にして清和源時の甲斐における勢力の基礎が固まっていったのである。
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◇白州町の歴史 甲斐源氏の勃興 (『白州町誌』)源頼信
長元二年(一〇二九)源頼信が甲斐守に任ぜられ、翌三年平忠常の討伐を命ぜられた。忠常は下総。上総、安房など房総を占領し南関東で武威を誇っていた。年貢を怠り賦役を供さず叛乱を起こしたので、朝廷は検非違使平直方に討伐を命じたが容易に鎮定できなかったので頼信に追討使を命じた。
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山梨県北杜市白州町の天然水と放射能汚染について考える
山梨県には富士山をはじめ南アルプス連峰を抱える有数の山岳県です。こうした山々の恵みが天然水です。こうした山梨県を囲む高山の放射能汚染は測定されているのか心配でなりません。また多くの森林を持つ山梨県、大量に搬出され加工される木材と放射性物質の有無など懸念されます。
関東各地でも放射能物質の有無は、地域の財産でもある自然や水それに森林と放射能汚染の問題は、山梨県の命運を握るといって過言ではありません。
そうした中で気になる記事が掲載されました。
2011年(平成2 3年)5月27日 山梨日日新聞記事(一部加筆)
県内 終末処理場の汚泥に放射性物質 搬出できずに行政困った
県と甲府市は26日、県内の下水道の終末処理場4ヵ所と平瀬浄水場(甲府)から出る汚泥や焼却灰から放射性物質が検出されたと発表した。県などは今回検出された物質の数値について「安全性には影響はない」としているが、桂川清流センター(大月)からセメントの原料として汚泥を受け入れている企業が搬出を拒否するなど波紋が広がっている。センターは一時的に保管する措置を取らざるを得ない状態で、「いつ受け入れ再開になるか分からない」と困惑している。
県「安全性に影響ない」
県や市は、神奈川や福島県内の浄水場や下水処理場の汚泥から放射性物質が検出されたことや、企業からの要望を受け、5月中旬に調査。県は16、17日に4ヵ所の流域下水道終末処理場から脱水汚泥を採取して調査、うち3ヵ所から1㎏当たり99〜33ベクレル放射性セシウムが検出された。
このうち桂川清流センターの脱水汚泥は、17日から搬出先のセメント会社(埼玉)に受け入れを拒否されたため、約18トン分をコンテナなどに密閉して、センター内で保管。同センターでは1日約3・7トンの汚泥が発生するといい、今後は保管用コンテナを確保するなど対応を迫られている。
「セメント会社は独自に基準値を出すとしているが、いつになるか分からない」(県下水道課)のが実情。県は6月1日に再調査を実施し、今後の対応を検討する。
一方、甲府市でも、平瀬浄水場や浄化センターの汚泥から37〜13ベクレルの放射性セシウムと放射性ヨウ素を検出。同センターの焼却灰から放射性セシウム34を530ベクレル、同137を629ベクレル検出した。
「他県の例と比べ数値は低いが、安全基準が明確になっていない」(同市上下水道局)ことから、セメントの材料としての民間会社へ搬入していた焼却灰を自粛するほか、汚泥を活用したコンポストの製造を中止している。
現段階で焼却灰は約10トン、コンポストは1350立方メートルの行き先がないという。コンポストについて市は、「この
まま保管することになれば、焼却して体積を減らす措置もあり得る」と頭を抱えている。
大気の放射線量通常値の範囲内
県衛生環境研
山梨県大気水質保全課によると、県衛生環境研究所(甲府市)のモニタリングポストで25日午後6時から26日午後5時までに計測した大気の放射線量は、最大で毎時O・045マイシークロベルトと過去の通常値の範囲内であった。
甲府市は25日に採集した水道水、26日午前9時までの24時間に採取した雨やちりなどの降下物から、放射性ヨウ素と放射性セシウムは検出されなかった。
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