白州町情報最前線 サブやんのなんでもジャーナル

山梨県・北杜市・白州町のありのままの姿をジャンルを問わず綴っていきます

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

《甲斐駒ケ岳、現在の信仰》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)

明治初年の神仏分離。によって、駒ケ嶽神杜は神道の神杜として、一応修験道的信仰とは分離された。弘幡行者によって開山された駒ケ嶽の修験道的信仰は、その後、明治十六年十二月に主務者の許可を経て、皇祖駒ケ嶽教会となり、多くの駒ケ嶽講の主流となって現在に至っている。
出羽三山、越中立山、相模大山など古くから修験道が発達した山では、先達の集団が中心となって宿坊を経営したり、参拝老の案内先達をつとめた。その伝統は講として今目色濃く残っている。一方木曽御岳のように、各地に散在する信者は、御岳教などをつくって、その中の先達が講を組織し、登拝する形をとった。概して言えば、甲斐駒ケ嶽の場合は後者の例であって、それだけに御岳講の影響が強いと考えられる。
甲斐駒ケ嶽に対する山岳信仰を縄文時代まで遡って考えると実に数千年の長い間、われわれの祖先はこの山を尊崇し続けたことになる。その問幾多の具体的信仰形態は変化し、時に山に対する信仰の深浅の繰り返しもあった。現今の山岳信仰は率直に言って、往時に比して甚だ薄弱なものと言えよう。しかし、相も変らず、人々は駒ケ嶽に大きな神性を感じ、愛着を持っている。人類の大自然に対する宿命的な心理であるかも知れない。その意味でこの山に対する信仰はさらに深く詳しく研究されねばならないと信ずる。(山寺仁太郎氏著)

《甲斐駒ケ岳登拝路》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)

その登拝路は、横手前宮を基点とする黒戸登山道と、千ケ尻前宮を基点とする尾白川登山道の二つが一般的で、他に、千ケ尻前宮から直接黒戸尾根にとりついて、笹ノ平で横手口と合流するものもあった。
尾白川登山路は、源流にかかる千丈ノ瀧下流において、左方の急坂を直登して、五合目屏風岩に到り、黒戸登山道と合流するが、これらの登山道は、屏風岩の峻瞼を経て、七合目の七丈小屋に達し、八合目の鳥居場において、朝日を拝して、やがて山頂の本宮に到達するように開かれている。
信仰登山が衰退して、一般登山者が盛んにこの山に登山するようになっても、一般的登山道はこの何れかの道を利用する。従って、現在その登山道の両側には、かっての信仰登山の痕跡を随所に見ることができ、稀には白衣の行者の行の実際を見ることもできるのである。屏風岩の下には、かって、二軒の山小屋があった。荒鷲(アラワシ)と自称した中山国重の経営する屏風小屋は先年廃絶したが、五合目小屋は今も現存し、昭和五十九年、小屋番の古屋義成が、日本山岳会有志の応援を得て、創業百年を祝った。古屋義成によれば、この小屋は、明治十七年(一八八四)修験者、植松嘉衛によって行者の祈祷所として開かれたものという。何れにしても、これらの白州町からの登山道はその峻瞼の度において、全国有数のものであって、それだけに開山当時の弘幡行者の苦辛が十分に想像され、男性的魅力に富む豪快な近代的登山の醍醐味を味うことか出来るのである。
ここに、明治十二年(一八七九)管原村井上良恭という人の出版になる「甲斐駒ケ嶽略図」と題する木版図がある。峻瞼雄大な駒ケ嶽の山容を一面に刻して、山中の地名、祭神などが詳細に誌してある。それによると、駒ケ岳山頂―大已貴命鎭座、摩利支天峰-手力男命鎭座、黒戸山―猿田彦命鎮座とあり、尾白川渓谷の不動ノ瀧附近には大勢利龍の名がある(この両爆が、同一のものか別個のものか不詳)。千ケ尻前宮のあるところには、遥拝所と書いた鳥居があって、「前宮」の名前は誌してない。横手の前宮は全く記載していない。思うにこの図面は、駒ケ岳の案内書の如く見えるが、神仏分離後の明治十年代の駒ケ嶽観を現わしていると考えられる。駒ケ嶽の、横手と竹宇(千ケ規)の両前宮が両立し、互いに表登山口を主張するようになるのは、このころからであって、管原村居住の井上良恭は、菅原口(竹宇、千ケ尻)こそ表参道であり、表登山口であることを主張したかったのではないかと推察できるのである。もっとも肝要と思われる横手前宮を無視し、竹宇前宮を遥拝所と誌したことは、一面、修験道的信仰登山から、近代的登山への脱皮を示しているとも考えられるのである。
参考までにもう一つ図面を紹介する。「甲斐駒ケ嶽登山明細案内図」と称する昭和二年(一九二七)の印刷物。発行老は管原村井上正雄である。井上良恭の子孫ではないかと想像されるが、明らかに明治十二年の木版図の改訂版であることが判かる。この図面では、横手と竹宇の両前官が大きく描かれている。登山道は、前者に比して逢かに具体的実用的に描かれているが、鎭座する神々の間に多くの変更があるのは注目されてよい。山頂には大已貴大神と共に駒室大神が祭られている。摩利支天峰には摩利支天、西峰には天照大神と馬頭観音、鳥帽予岳には薬師大神と大頭羅白神という神名が見える。黒戸山には刀利天と大日大神が祀られている。
明治十二年と昭和二年とは年を隔てること四十八年。この約五十年間に、案内図を作製しようとした二人の井上氏の間には、駒ケ嶽の山神について、その表現にかなりの相違があるのである。

《甲斐駒ケ嶽開山》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)

長野県諏訪郡上古田村に生れた小尾権三郎によって、この山が開山されたのは、文化十三年(一八ニハ)六月十五日(旧暦)のこととされる。小尾権三郎は幼時より、特異な信仰的才能を持つ人物で、十八歳の時自ら弘幡行老と名乗って、甲斐駒ケ嶽開山の大願を立てた。横手村山田孫四郎宅に逗留して、この山の峻瞼にいどみ、数十回の難行苦行の末に、漸く山頂に到達し得たのであった。
徳川時代の中期ころから、幕末にかけて、全国の山岳の開山がしきりに行なわれ、この時代の一つの流行となった。例えば、享保六年(一七二一)七月の有決による信州有明山の開山や、文政十一年(一八二八)の播隆による槍ケ岳の開山などは、その顕著な例である。
弘幡行者小尾権三郎の甲斐駒ケ嶽の開山も、その一連の流れと見ることが出来る。彼は開山後、京に上って、神道神祇管長白河殿より駒ケ嶽開闢延命行者五行菩薩という尊号を賜わったが、開山より僅かに三年後の文政二年(一八一九)正月十五目に二十五歳の若さで遷化する。彼の霊は、駒ケ嶽六合目の不動ケ岩に祭られ、今、大開山威力大聖不動明王として尊崇されている。弘幡行者の開山により、駒ケ嶽信仰は一層修験道的な色彩を濃くし、全国に及ぶ駒ケ嶽信仰登山者が競って登頂参拝するところとなった。

《甲斐駒ケ嶽神社》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)

駒ケ嶽頂上に、大己貴命(おおなむちのみこと)及び少彦名命(すくたひこなのみこと)を祀り、横手の東麓登山口にその前宮を創建したのは、社伝によれば、雄略天皇の二年六月のことで、出雲国宇迦山より遷祀したとされている。もとより信ずるに足りない悠遠の昔のことであるが、昭和五十九年、前宮の社地の北面の一隅、祈祷殿改修の場所より、縄文式の大型の土器が出土した。この社地に縄文時代より人間が住み、且つこの地が、駒ケ嶽蓬拝所であったとする推察も成り立つのである。
住民或いは、駒ケ嶽信仰をする他郷の人々が、主神を大己貴命(大国主命)と認識することは、一般的でなく、「甲斐国志」の言うように山頂には駒形権現、馬頭観世音、或いは摩利支天が祀られているのだという認識の方が強かった。神仏混淆した修験道の色彩が濃厚であった証左であろう。単に「駒ケ嶽さん」と愛称して山岳そのものを尊崇する気分があった。従って、駒ケ嶽神祉の性格は、明治以前、神仏分離が行なわれるまでは、極めて修験道的な祭祀の場であったと考えるのが自然であろう。
駒ケ嶽神社の前宮は、もう一つ尾白川の渓谷に沿った千ケ尻にもある。不思議なことに、この前宮に関する社記の類が見当らず、「甲斐国志」もこれに触れていない。昭和三十七年刊行の「峡北神杜誌」なども書き落している。このことは同所に設けられた神道御嶽教、駒ケ嶽大教会所などが、便宜的に近い過去において山神を勤請した「前宮」であったことを想像させるのである。

《甲斐駒ケ岳 「甲斐国志」・「峡中紀行」・「甲斐叢記」》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)

文化十一年(一八一四)編纂された「甲斐国志」は、駒ケ嶽の山容をさらに具体的に記して、「峡中紀行」のこの部分を引用している。駒ケ嶽は文化年問のこの時代において、なお人問の撃登することの出来ない高山秘境であって、山中には仙翁の如き異形の住む処と認識されていたのである。幕末嘉永年間(一八四八〜五三)になった大森快庵の「甲斐叢記」も亦、明らかに「甲斐国志」に擦って、駒ケ嶽を誌し、徂徠の伝えた老翁の仙術を特筆しているのは、少なくとも明治以前におけるこの山への認識の度合が奈辺にあったかを、うかがい知ることが出来るのである。
上述の如く、駒ケ嶽を一つの信仰の対象としての考え方は縄文時代まで遡ることができ、数千年間にわたって神聖なる山、祖霊の坐す山、近づき難き神秘な山という見方が連綿として続いて今日に至ったということが言えよう。こうした山岳への信仰帯態は日本全禺に略々通有するものであって、駒ケ嶽の場合は、比較的純粋に経過して来たと言えるのではなかろうか。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.

過去の記事一覧

白州町地域なんでもジャーナル
白州町地域なんでもジャーナル
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事