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【韮崎宿から蔦木領での継立方式の成立】近世の道路と交通(『白州町誌』)一部加筆
 韮崎宿から蔦木領での継立方式の成立は寛文七年からである。
次の文書は寛文七年の蔦木・教釆石・台ケ原三宿継送手形である。
一 御武士荷物、如先競蔦木才台ケ原へ三十日次申候
一 商人荷物、如先鋭蔦木才教釆石へ三十日次申候
一 御朱印御伝馬之儀ハ、教来石望之通蔦木より教来石へ三十日次申候
右之趣双方致和談御訴訟中上候、自今己後六ケ敷義於中上候ニハ、如何様之曲事にも可被仰付候、為後日之仇一札指ケ申候
  寛文七年末ノ二月四日
      諏訪因幡守領分蔦木町
               問屋 久右衛門㊞
               同  源右衛門㊞
               庄屋 市左衛門㊞
  御奉行様
【甲州道中 宿場の混迷と対策 助郷制度】近世の道路と交通(『白州町誌』)一部加筆
「天明六年台ケ原宿書上」によると、天明四年分の人馬出動数は、人足三〇四七人、馬三九三五疋、そのうち助郷人足二四六人、馬一四三疋で、翌年になると倍の課役となり、天明五年分の中馬荷物の通過数は一八四〇駄を示し、宿民はこれが対応に苦慮した。
 この窮状に台ケ原宿ではついに音を上げて、隣接の三吹村に加宿郷の訴訟をして認められ、天明五年では六分の一(御定人馬各二五)を負担し、四人四疋を台ケ原宿に駐在させ、武家荷物の運搬では、上りの場合は蔦木宿まで継立を分担させたので、三吹村から苦情が出て、助郷だけは免除となった。これをカバーするため、定助郷のほか、臨時夫役として、大助郷に白須・横手・日野・片嵐の四ケ村が指定された。
 道中も貨客の利用者増加に伴ない、寛政八年(一七九六) には、宮脇・山高・柳沢・牧原・新奥・黒沢の六ケ村が追加され、さらに文化三年(一入〇六)には、上記六ケ村が過重であるとして、七里岩台上の大八田・塚川・長坂上条・渋沢の四ケ村を代助郷とした。
 文化三年(一七四六)には、再度三吹村が加宿負担に耐えかね、四人四疋のうち、三人三疋を御免となり、この分を中丸村と上黒沢村・夏秋村・長坂下条が負担をした。中丸村と上黒沢村が一人一疋、夏秋村とが一人一疋の割合である。
 
【問屋 甲州道中・浅間山大噴火・お茶壺道中】近世の道路と交通(『白州町誌』)一部加筆
 問屋は無給であったが、その代り商人の荷物から、一駄につき五文づつの口銭を取って役料に当てた。年間千五駄であるから、七貫五百文の口銭を得たことになる。馬差は馬匹配備の要職のため、壱ケ年籾壱石五斗・麦壱石五斗に給金弐両であった。
 甲州道中も当初は、甲府以西は人馬各二十五を備えた宿場で、諏訪・高遠・飯田三藩の通路であつたほか大掛りの通行は稀れであったから、宿民たちは農耕に従事できた。
 ところが天明三年(一七三八)七月、浅間山の大噴火によって、中山道が閉鎖となり、いきおい甲州道中を利用するようになり、従来の型は破られ、俄然宿駅は目の回るような日々が到来する。
加えて延宝九年(一六八一)六月、「お茶壺道中」が、大名行列なみに通行し前後二回も田中神社を宿舎としたことなど、考え合わせると実に過重な負担が課せられた。
【宿駅】近世の道路と交通(『白州町誌』)一部加筆
 宿駅は伝馬制によって馬士二五人、馬二五匹の常備が義務づけられ、参勤交代の大名通行や御茶壷道中の場合などには助郷や加宿制が利用された。宿場の機能を果すために、本陣、脇本陣が施設され、問屋、年寄、馬差などの諸役が置かれた。本陣は大名または高官の宿舎で宿中の顔役であり、重い責任と強い権力をもっており、薄から苗字帯刀を許され、武士格の扱いを受ける例もあった。脇本陣は大名の供人が多く本陣のみに宿泊しかねる場合に予備にあてる宿泊所である。問屋は伝馬所、会所で今の通運会社や駅のような仕事をしており、荷物が馬士によって送られてくると、賃銭を定めて、次の宿場へ送らせたり、旅人のために人足や馬や駕篭を心配してやった。年寄は村方から選任され、名主や問屋の業務を助けた。馬差は宿駅において人馬割当など問屋職の一部を担当した。大名通過の時は、村方三役を筆頭に、組頭まで人馬や宿の手配をするなど、宿場とはいいながら、村方の勤めも多かった、立場は宿駅の出入口にあり、旅人、かごかき、人足、伝馬などが休息する掛茶屋のことである。
甲州街道 近世の道路と交通(『白州町誌』)一部加筆
五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)の一つで、江戸日本橋から信州下諏訪に至る駅路である。はじめは甲州海道の文字を使用したが、山国通過の道筋であることから、正徳六年(一七一六)甲州道中と改称された。道中は三三宿といわれ、時に改廃分合が行なわれた。
甲府から武川筋へは、竜王赤坂を経て、下今井、宇津谷、韮崎と進み北上して台ケ原に達する。道幅は六尺〜九尺である。峡北地域では韮崎、台ケ原、下教来石に宿場がおかれ、教来石宿から蔦木、金沢、上諏訪を経て下諏訪で中山道に合している。

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