白州町情報最前線 サブやんのなんでもジャーナル

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江戸時代の甲斐伝説と民話、高芙蓉  蒹葭堂雑録(木村孔恭)
 煎茶に用ゆる「キビシヤウ」といへる器を、高芙蓉の検出して大雅堂に語られしが、殊に歓びて是を同士の徒に知らしめんとて、其事を上木し弘められしとぞ。風流の親切といふべし。右次て丙子冬十月、大雅堂印施と有。この丙子は宝暦六年にして、大雅山人三十四歳、高芙蓉は三十五歳の時なり。
 芙蓉は名は孟彪、字は孺皮、芙蓉はその号なり。甲州高梨の人にして、高氏なり。父を尤軒といひて、かって徳本氏に従ひて醫を業とす。芙蓉醫を好まず。弱冠の頃より京師に遊び書画を愛す。好事の一奇人なり。篆刻の妙絶にいたり、海内に其名を知らざるものなし。俗称後に大島逸記といふ。天明四年四月二十四日東武に没す、行年六十三歳。
 〈芙蓉の生年は逆算すると、没年…天明四年(1784)、生年…享保六年(1721)の生まれとなる〉
 図省略
江戸時代の甲斐伝説と民話、馬場三郎兵衛  閑憲瑣談(佐々木高貞)
 (前略)實は本国は三州、生国は甲斐にて、即ち惣奉行馬場美濃守が妾腹の末子、幼名三郎次と申す者にて候、領主(信玄)逝去の後、世継ぎ(勝頼)は強勇の無道人、其上、大炒、長閑の両奸人、国の政道を乱し、諸氏一統疎み果候始末は、甲陽軍艦に書記したる十双倍に御座候。されば□(長篠)の合戦の節も、先主以来の侍大将ども、彼是の諫言を一向用られず、美濃守を始めとして覚えの者ども大勢討死。夫より段々備えも違ひ、終には世継も滅亡致され、其頃私は十歳未満の幼少故に、兄にかゝり罷在候へども、甲州の住居も難叶、信州に母方の由緒有之故、玉本翫助が末子、八幡上総が甥等申合、三人ともに、信州に引込、往々は中国へ罷出、似合敷奉公をも仕らんと、年月を送り候所へに不慮難波鎌倉鉾楯にて、難波籠城是天の与えと手筋を以て間も無く城中へ召出され、千邑繁成が組与力となり、云々
 
江戸時代の甲斐伝説と民話、宝永二年二月常憲院将軍六十賀和歌 松平美濃守吉保
  遠碧軒記(黒川道祐)
 この御賀に松平美濃守吉保御杖をまいらするとて、
君にいまさゝぐる杖のふしておもひ あふぎていのる萬世の春
 此美濃守甲斐国を給り、甲府の城へ初めてまかりまふでけるき、
としを経て君につかふるかひがねや 雪のふる道ふみ分てみん
 ふる道ふみ分るとよめるも、甲斐の武田餘流なるよしのあればなるべし。
 
江戸時代の甲斐伝説と民話、下御霊社司板垣民部談   遠碧軒記(黒川道祐)
 (前略)さて社家は代々春原なり(中略)これが中絶の時に甲斐の板垣信方の子、(信方は病死、子の彌次郎者為信玄被害て跡絶ゆ)同彌次郎が遣腹の子が、母とも京に流れ落て後は丹波に閑居す。この子成長して南禅寺の少林寺へ遣し、出家して正寅と云。これを室町より肝煎してをとして社司とす。これが中比の社僧寿閑の親なり。云々
 
江戸時代の甲斐伝説と民話、山口素堂像
  一、山口素堂筆 芭蕉庵米櫃(瓢銘)寸錦雑綴(作者不明)
  四山の銘
 芭蕉庵米櫃 柏莚所持 五粒ニ傳へ今又三桝ニ 蓋木黒ヌリ
 傳懇望〆一見写之
  一瓢重泰山  自笑称箕山
  莫慣首陽山  這中飯顆山
  葛飾隠士素堂書
 

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