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興国六年
貞和元年 1345 35
◎ 宗良親王の興国年間の動き
興国元年……秋、井伊城陥落後宇津山を越える。
二年……春、越後国寺泊に住む。
三年……越中国名子に住む。
四年……越中国名子に住む。
五年……春、信濃国大川原に籠もる。その間駿河国に至り、
六年……秋まで駿河国に住む。
◎ 宗良親王、
(『李花集』)
駿河
駿河国貞長が許に興良親王あるよしを聞て、しばし立ち寄り侍りし比、富士の煙もやどのあさけに立ちならぶ心
地して、まことにめづらしくなきやうなれど、都の人はいかに見はやしなましとゝまづ思ひいでらるれば、山の
すがたなどゑにかきて、為定卿のもとへつかはすとて
見せはやなかたれはさらにことの葉もをよはぬ富士のたかねなりけり
返し
おもひやるかたさへそなきことの葉のをよはぬ富士に聞につけても
かくて又の年(興国六年)秋まですみ侍しかども、さすがまた我世へぬべき所にもあらねば、こゝをも立出侍ら
んとせしに、狩野介貞長などやうのもの共夜もすがら名残おしみ、さかづきたびたびめぐり侍し程、過にしかた、
猶行すゑの事まで、二心なきことなど申あつめつゝはてはゑいなきなどせしかば、いつの程のなじみにかとあは
れに覚へて、出さまにそこのかべに書をきし
身をいかにするかのうみのおきつなみよるへなしと立はなれなは
興津 庵崎
かしこ夜ふかく出侍て、興津といふ所は曙たに成ぬるに、霧もたえたえに成て、ゆたに見えたる庵崎の松原は、
さながら海の上にのこれり、吹はらふ風の気配もすさまじきに、いつて舟のはやくすぐるも、波の関守にはよら
ぬかとみゆ、あくるもしらずおもしろくすみ渡りて、一かたばらずみすてがたければ、関の戸にしばしたゝずみ
侍しに、
袖の浦風秋の夕よりも身にしむ心地せしかば
清見関
あつまちのすゑまて行ぬいほさきの清見はせきも秋かせそふく
浮島原 車返し
浮島が原をとほりて、車返しといひし所より甲斐国に入りて、信濃へと心ざし侍しに、さながら富士の麓を行め
ぐり侍しかば、山のすがたいづかたよりもおなじやうにみへて、まことにたぐひなし、裾野の秋の景色まめやか
に、心言葉も及び難く覚へ侍て、
富士山麓
北になしみなみになしてけふいくかふしのふもとをめくり来ぬらん
甲斐国白須
甲斐のしらすといふ所の松原のかげにしばしやすらひて
かりそめの行かひちとはきゝしかどいさやしらすのまつ人もなし
信濃
信濃国に行つきぬれば、をくりのもの返し侍し次でに、駿河なりし人のもとへ申つかはし侍し、
ふしのねのけふりを見ても君とへよあさまのたけはいかゝもゆると
信濃諏訪
諏訪下宮寳前に通夜し侍て、夜もすがら法施奉りしに、湖上月くまなくて、秋風もほかよりは夜さむに侍しか
ば、よみける
すはの海や神のとかひのいかなれは秋さへ月のこほりしくらん
信濃更級
佐良科里に住み侍しかば、月いとおもしろくて、秋ごとにおもひやられしことなど思ひ出られければ、
もろともにをばすて山をこへぬとはみやこにかたれさらしなの月
あがたのすまひも、年を経てすみうくのみ侍し比、月を見て
月にあかぬ名をやたゝましことしさへ猶更級の里にすまはゝ
(『新葉集』)
をば捨山ちかくすみ侍し比、夜ふくるまで月を見て思ひつゞけ侍し
これにます都のつとはなき物をいさといはゝやをは捨の月
信濃あさまの山ちかきわたりに住み侍し比、
あさましやあさまのたけもちかけれはこひのけむりもたちやそふらん
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