白州町情報最前線 サブやんのなんでもジャーナル

山梨県・北杜市・白州町のありのままの姿をジャンルを問わず綴っていきます

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2009年9月8日 ... 私は白洲次郎氏より白洲正子氏の著作本が好きで数冊購入してある。しかも正子氏は「 甲斐の国」も著している。現在白洲次郎家と白州町白須の家系の詳細は調査中であり、 誤報したい。 こうしたきっかけは先に明示しておかないと、出し ...
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2009年9月8日 ... 白洲次郎氏の家系と山梨県北杜市白州町白須を結ぶもの. 傑作(0). 2009/11/9( ... 自 須蔵入(白須村)《現北杜市白州町白須》(「甲斐国志」 一蓮寺(甲府市)過去 ... 太平記』 観応三年(1362)の条に、甲斐諸将ノ中に「白州上野守」あり。 《筆註》 ...
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2009年9月8日 ... 白州は全国でも有数な名水の産地です。ここではぐくまれた歴史・伝説・民話・名勝・ 文化財・山・川・森林・イベントなどさまざまな情報をお届けします。
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2010年8月9日 ... (北杜市)集落寄付金(2) 白州 町地域委員会資料 ... 白洲 次郎氏 の先祖は 山梨県 北杜 市 白州 町白須の出身. 新規! 白州 町の神社一覧掲載神社一覧 ... 白洲 次郎氏 の先祖 は 山梨県 北杜市 白州 町白須の出身. 白州 歴史上の人物〔名取氏 ...
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白州人物史 白洲次郎氏の祖先と白州町白須 白洲次郎氏ゆかりの北杜市白州町白須 夫人の白洲正子氏...(1) 白洲次郎氏の先祖は山梨県北杜市白州町白須の出身 海野庫 太郎氏(四十三年間学校教育振興のため貢献) 河西九郎須(初の県会議員) 小林 ...
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白州町白須と白洲次郎氏の家系調査その2. 若宮八幡井弁天社略記(「白州町誌」) 白州町白須と富士吉田市白須市左衛門の関係、白須甲斐守. 甲州巨摩郡白須村(現在 白州町白須上). この神社は現在道の駅はくしゅうの北に位置する若宮八幡神社のこと。 ...
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白州町は水の町として知られ、多くの人々に親しまれています。しかし高齢化も進み 将来に一抹の不安もあります。水を中心に町の将来を築くために多く人のご意見をお 寄せください。 白洲次郎氏の先祖は山梨県北杜市白州町白須の出身 - 白州町ほっと 情報局 . ...

◇馬場美濃守信房 戦陣五つの信条
 ある席で五、六人の若武者たちと語り合った。
「美濃守殿は二十一回も敵と組み討ちして、お屋形様からそのつど感状を戴いておりますが、一度も負けたことがないのはどうしてでございますか」
と問われた。
「それは運もある」
と前置きして、戦陣五つの信条を語って聞かせている。
一つ
 敵より味方のほうが勇ましく見える日は、先を争って働くべし。味方が臆して見える日は、独走して犬死にするか、敵の術中にはまるか、抜けがけの聯を負うことになる。
二つ
 場数を踏んだ味方の士を頼りにする。その人と親しみ、その人を手本としてその人に劣らない働きをする。
三つ
 敵の附が吹き返しがうつ向き、旗指しもの動かなければ剛敵と知るべし。逆に吹き返し仰向き、旗指しもの動くときは弱敵と思うべし。弱敵はためらわず突くべし。
四つ
 敵の穂先が上がっている時は弱敵と知るべし。穂先が下がっている時は剛敵。心を緊めよ。長柄の槍そろう時は劣兵。長短不揃いの時は士卒合体、功名を遂げるなら不揃いの隊列をねらうべし。
五つ
 敵恒心盛んな時は、ためらうことなく一拍子に突っかかるべし。

「南十字星の下に」故古屋五郎氏(元白州町町長)著 本書に寄せて 名取忠彦
昭和十五年の秋・大政翼賛会の県支部が発足した時、支部長代行機関として常務委員会(十人一が置かれ・古屋五郎君はその一員であった。私も委員の一人であったので初めて同君と相識ることとなったが、当時無名の一青年が一躍新衛運動の先頭に立ったというので古屋君は全県下の注目浴びた。しかし御当人は晴れがましい場面を好まぬらしく、いつも慎み深く会議に列していた。ただそのがっちりした身体からは、いざとなればテコで動かぬ強靭さが感じ取れた。若いのに物静かな人で余計な口をきかない。相対していると何か大きな木の根っこと取組んでいるようで、その頃流行の新体制理論など此の人の前では歯が立たないといった感じであった。黙々郷土の魂となり桓国の人柱となることが古屋君の所属した壮年団の精神であり、同君はそのままの心で翼賛会の人となったのである。
やがて私と古屋君は翼賛会の部長として相たずさえて県下の運動をすすめることとなったが私はひそかにこの古屋君などを骨組みとした県下の青壮年の組織のことを構想しつつあった。
その頃の或る日、この手記にもあるように身延山での協力会議の席から古屋君は出征したのである。「召されました。行って参ります」と書いた紙片を古屋君は私の前にそっと置く。私も何か書いて渡す。うなずいた古屋君はなにげなく立ってそのまま議場から去って行った。静かなその姿がまざまざと思い出ざれる。極秘裡に大動員をかけていた軍部は沈黙の応召を求めていた。私たちは激情を押えてなにごとも無かったように別れねばならなかったのだ。
県下に翼賛壮年団を組織すべきときが来た。私は県下の同志三十人ほどに組織世話人となることを委嘱したが、その中に古屋五郎君の名前もあった。出征中とはいえ古屋君をのぞいた壮年団は物足りないと考えたからである。
翼壮はかくして組織され戦時中活発に行動したが、私は古屋君が常に口にした郷土の魂、橡の下の力持ちの精神を翼壮の運営の中に取入れることを忘れなかった。黙っていたが古屋君は立派な教えを残して戦地へ行ったのだ。
戦争もいよいよ最終段階に入った頃、古屋君について妙な噂が流れた。何かまずい事があって重営倉にいるというのである。激戦の最中で真相を探るすべもないままに、何となく割切れない、困り切った感じでこの噂を受取るより外はなかった。
まもなく惨たる敗戦、てんやわんやの二、三年が過ぎた。或る日、旭村に住む高田という青年が私の宅へ来て、「軍法会議判決」と書かれた文書を示し、「日本の軍部がこうした文献を残して呉れたのは不思議です。ゆっくりお読み下さい」と一言って去った。
この手記にも出て来る古屋兵長への判決文である。読んで、私はすべてに納得がいった。戦時中、古屋君についてチラと抱いた不安感は一瞬にして消えた。雲があると思ったのは嘘で、空は初めからカラリと晴れていたのだ。大きな感動と共に私はこの驚異の判決文を繰り返し、繰り返し読んだ。そして丁寧に机の引出しに納めたが、その後も時々それを取り出してじっと読みふける。あれから十五年、いく度繰り返して読んでも、その都度新しい感激が湧くのである。
事件の真相は今度の手記発表によって極めて明白となった。正義と真実を貫ぬこうとして生死を超越し、度胸を掘え切った男がどんなことをやるか、どんなに凄まじい事態がおこるか、が淡々として記述されている。この手記で古屋君は、俺はこんな入問だと語っているのではない。かくすれはかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂のようなものがまだ存在していることを身を以って示しただけである。軍は亡びたけれど、日本人はまだ生きていたのである。
或る時、私の息子が、古屋五郎さんに初めてお目にかかるのだけれど、どういう人ですかと問うた。私は、
手が白く且つ大なりき非凡なる 人といはるる男に会ひしに
という啄木の歌を示して、古屋さんとは斯ういう人だよ、と答えたことがある。
この書の序を乞われたとき、私は古屋君という人をどういう表現で紹介すればよいのか思いあぐねて、初対面以来の同君と私との関係を述べて昆た。しかし、この人と、この人のやったことは到底筆舌につくし得るようななまやさしいものではない。私はこの書が魂の底からの慟哭とともに読まれるであろうことを信じて疑わない。


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