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白州町の歴史講座 横手氏
 【姓氏家系大辞典】
「横手氏は清和源氏武田氏族、甲斐国巨摩郡横手邑より起る、一条氏の族裔にして信俊を祖とす」とある。国志に「一条信長の裔、青木弥十郎義虎の男に信定あり、其の男尾張守信立の次男監物満久(信国)武田信玄に仕え横手村を領して氏とす、其の子半右衛門(源三)也、家紋割菱」。と記している。
下の郷(生島足島神社)起請文に武河衆の中に横手監物満俊あり、満友は誤りなりと付記している。
 青木信正の長男信時が青木氏を嗣ぎ、次男信国が横手村に分封して横手氏を称し、横手監物信国と呼んでいた。武田信玄に仕え、元亀元年(一五七〇)正月下旬、駿河花沢城攻めのとき討死した。それで弟信俊が横手氏を嗣いでいたが、勝頼は柳沢氏の名跡が絶えるのを惜しんで、横手信俊に柳沢氏を嗣がせた。横手氏はそのあと、信俊の養子源七郎が嗣いでいる。長篠の役に典厩信豊に従う三騎のうち横手源七とあるはこの人である。天正十年十二月七日の家康朱印状により、横手源七郎の本領として「甲州横手郷八拾弐貫文」が安堵された(甲州古文書2)。
白州町歴史講座 白須氏(『白州町誌』)
 一条源入時信が武川衆の祖にして、その第三子貞信が白須三郎を称した。
【寛政重修諸家譜】
「家伝に其の先義光の庶流にして一条上野介貞信がとき白須を称すという、「官本尊卑分脈」に武田太郎信義が男一条次郎忠頼あり、また武田大膳大夫信光が男に一条六郎信長みゆ、その子孫上野介貞信なるもの所見なし、」としてこれを否定し、「按ずるに信光が子武田小五郎信政が四代の孫甲斐守貞信、その二男を上野介貞政という、家伝に上野介貞信というは、もしくは貞信・貞政父子の名を混ぜしか」といい「しかれども貞信父子に一条の称号見えざることはうたがうべきもなきが故に、しばらくこれをしるして武田庶流の下に記す」として、一兵時信を祖とする武川衆でなく、信長の兄信政の裔であるとしている。
【姓氏家系大辞典】
「清和源氏武田氏族、甲斐国北巨摩郡白須より起こりなるべし、りしなるべし。武田系図に甲斐守信長―八郎信網−甲斐守時信−貞信(白須次郎)と見ゆ、
【一蓮寺過去帳】
長禄元年に白須蔵人、
【太平記巻三十一】
(観応三年)白須上野守あり、
【寛政系譜】
白須氏二家を載せたり、其の家伝に一条上野介貞信の後なりという、家紋亀甲の内輪違」と述べている。
【甲斐国志士庶部】白須蔵人の項
「府中一蓮寺ノ過去帳ニ法名ハ老阿、長禄元年十二月廿八日小河原合戦討死ノ内ニ見ユタリ、余ハ名ヲ全ク記セザレバ挙ゲス」
【太平記観応三年ノ条】
甲斐諸将ノ中白洲上野守アリ、軍鑑長篠ノ役ニ典厩信豊モ馬乗ハ只三騎、慕フ敵ヲ追払ヒ退キ玉フ、
【甲陽伝解】
 白須又市、青木主計、横手源七郎三騎ナリ、始メノ返シニ主計ハ討死トアリ、白須平次ハ又市ノ男、竹王信勝ノ小姓也。
【武家盛衰記】
壬午ノ後幕府ニ召出サレシガ小姓衆卜口論アリテ御旗本ヲ立退キ、稲葉蔵人道通ニ依頼シ名ヲ又兵衛卜更メ後ニ家老トナル。関ケ原ノ時勢州岩手ニ於テ九鬼方堤荘蔵卜戦ヒテ功アリ、同藩種田喜左衛門ノ二男金三郎ヲ婿養子ニシテ白須十郎兵衛土石ヒ食禄五百石ヲ譲レリ。慶安中稲葉紀通ノ家断絶シテ白須ノ子孫ハ豊州(大分県)臼杵藩ニアリト云
 

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