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白州町の歴史講座 清泰寺
霊長山清泰寺は曹洞宗正覚寺末、本尊は薬師如来。甲斐国志に
「寺記ニ云フ黒源太清光ノ子逸見四郎清泰ノ開基、始メ天台宗ナリ、文明六年心叟英種中興シテ当宗トナル。
地頭曲淵荘左衛門吉景、広略院良屋玄張居士、文禄三年十一月二十三日没ス。
同縫殿左衛門吉清、元和五年九月一朔日没ス、風仙宗徹居士。
同助之丞吉垂、寛文十七年七月八日没ス、嘉岳宗英居士。
同助之丞某、寛文八年十二月十四日没ス、江西院旨山宗玄居士卜云フ、各々牌子アリ」と記している。
寺記には、開基甲斐源氏之祖新羅三郎義光大治元丙午年開閉、只今境内ニ五輪之石塔有之候。開山山梨郡積水寺村興国寺三世雲贋玄像和尚文、明六甲午四月先宗天台退転ニ付禅曹洞宗起立。文禄年中当村住居武田家之臣曲淵勝左衛門、同縫殿左衛門、同助之丞三代共当寺ニ葬、只今ニ墓所有リ
永禄弐年五月二日信玄の禁制、天正三年三月朔日勝頼禁制、慶長八年三月朔日徳川四奉行の禁制等があったが、宝暦元年十一月十一日火災のため講堂とともに焼失した。
清春寺の東の山を城山と呼んでいる。曲淵氏の砦があつたといわれている。
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白州町の歴史講座 自元寺
曹洞宗白砂山自元寺は清春寺末、本尊阿弥陀如来。寺記に「馬場美濃守信房、天正三乙亥年開闢」とあり、由緒書には「信房法名乾叟自元居士、天正乙亥年五月二十一日於三州長篠討死、生年六十三歳。
馬場二代民部少輔信忠法名信翁乾忠居士、信房嫡子信忠或は信春と云う、天正拾年三月於深志之城討死、自元寺過去帳に記す墓所有之。
馬場三代民部少輔信義是は信忠の嫡子、此の人始めて家康に仕へ、法名等相見不申」。とある。
武川村三吹の長松山万休院も国志に「寺記ニ云フ、開基ハ馬場民部、万松院困岳□円居士」とあり、寺記にも「開基之儀は武田之臣馬場民部に御座候事」とある。
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白州町の歴史講座 曲淵氏屋敷跡
甲斐国志古跡部に「曲淵氏ノ古跡片嵐ニアリ、竪古間、横六十間許り、東ヲ端門トス。西南ハ釜無川ノ峻ニ臨ミ北ニ小深沢卜云フ河アリ、コレ会スル所蛮曲シテ深噂トナル、曲淵ノ名此ニ出ズト云フ」とある。清泰寺の南、小深沢川が釜無川に合流する左岸、花水部落の西村と称する辺が屋敷のあつたところと思われる。屋敷跡北隅の若宮八幡社は曲渕氏の屋敷神といわれている。
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白州町の歴史講座 横手氏居跡
甲斐国志古跡部に「横手村芝地東西七町、南北十六町許り、又殿屋敷、故御所、馬場卜云フアリ、皆古事ヲ伝へズ、横手氏ノ居跡ナルベシ」とある。寛文十二年の検地帳に古御所、御殿原の小字がみえ、今も古御所、御殿の小字名があり、古御所の中に馬場ノ原と称する地名もある。この辺に横手氏の屋敷があつたと思われるが的確な場所はわからない。
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白州町の歴史講座 馬場氏屋敷跡
甲斐国志古跡部には「白須ノ字ヲ大庭卜云フ、其ノ下ニ殿町卜云フ処アリ、梨柏ノ老樹アルヲ園樹ナリト云ヒ伝フ」とある。白須に上屋敷という字があり、その西、国道より西が大庭、その南に俗称殿町という部落がある。今の若宮八幡神社の南に梨の大樹があつたと古老が言うが、これが国志にある「梨柏ノ老樹、園樹」即ち屋敷内の大樹ではないか。その付近から古井戸と思われる大きな穴が発見されたり、その南に濠跡と思われる窪地があるという。そのあたりが馬場氏が鳥原屋敷から移ってきて、この辺一帯を釆地としたころの館跡であると思われる。
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