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白州町の地質【中山山地・巨摩山地】
この中山(八八七メートル)を起点として南にのびる荒倉山(一一三二メートル)、 櫛形山(二〇五二メートル)などの山地は、 櫛形山層および桃の木層からなる巨摩山地と呼ばれる山地である。巨摩山地は長期間にわたって河川の浸蝕を受け、山は削剥されて低い平坦地となるいわゆる準平原化し、再び隆起して浸蝕され、今の急峻な山容を呈しているのである。中山の周縁にこれが見られる。山もまだ生きていて一定の順序で変化しているのである。幼年期、壮年期、老年期と進み、準平原となって一生を終るのである。これが隆起すると新しい輪廻に入り、また幼年期の浸食がはじまる。そして再び山容は急峻で深い峡谷と急流な河川をつくるのである。
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白州町の観光
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白州町の断層
一般に南アルプスと呼称されている赤石山地が、山梨・長野の県境を画して南北に連なっているが、赤石山地と巨摩山地とは、多くの学者が指摘しているように、 一大断層線に相当するところであって、本州中央地溝帯と呼んでいる地溝帯の西縁を画すものである。この断層線に沿って、北部では花闇岩が貫入して駒ケ岳・鳳凰山等より成る山体を構成するが、南部では西方の古生層が東方の御坂層の上へ逆断層で乗りあげている。
日本列島は中生代の終りから第三紀にかけて、本州を中央で潰断する大地溝帯を生じ、太平洋側と日本海側の海を通じて大海峡となった。この地溝帯をフォッサマグナと名づけられているが、その西縁をなす断層線に対し、矢部長克博士は糸魚川―静岡構造線と命名した。また縦横に走っている多くの断層線上には、断層の裂目に沿って、塩沢鉱泉、旧駒ケ岳鉱泉、シブクン沢の湯、旧亀の湯、藪の湯等の鉱泉の湧出が並んで断層線の存在を示している。
今からおよそ二千万年前の頃、この地溝帯が海底にあって、盛んに火山活動が行われ、玄武岩、安山岩などの溶岩や角礫凝灰岩などが推積した。櫛形山や中山・甘利山などは、これらの堆積岩の下部に貫入した花崗岩や石英閃緑岩とともに地盤の隆起に伴って高山となってきたものである。
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白州町の地形
白州町の地形を大別すると、山地、台地、扇状地、平地となっている。
町の西部は、自根、赤石などのいわゆる南アルプス連峰が南北に走り、これと平行してその前衛をなす巨摩山地が連なっている。赤石山地では、標高二九六六メートルの駒ケ岳を最高峰として、
黒戸山(二二五四メートル)、
鋸 山 (二六〇七メートル)、
編笠山 (二五一四メートル)、
雨乞岳 (二〇三七メートル)、
鞍掛山 (二〇二九メートル)、
日向山(一六六〇メートル)
等が連なっている。さらにその南方には赤石山脈と分岐して
巨摩山地のアサョ峰 (二七九九メートル)、
鳳凰三山の地蔵岳 (二七八〇メートル)、
観音岳 (二八四〇メートル)。
薬師岳(二七六二メートル)
などの山々がずっと南につづいている。
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白州町の緯度経度
緯度・経度は次のとおりである。
東端 東経 一三八度二一分五二秒 (釜無川・尾白川合流点)
西端 東経 一三八度一一分一七秒 (編釜山の西・釜無川本谷)
南端 北緯 三五度四四分 (大坊南端・ヒョングリ滝)
北端 北緯 三五度五三分 (大武川部落 釜無川河床)
白州町はまた、県都甲府市より北西約三〇キロメートルはなれた県境の町である。本町集落のほぼ中央に当る白州町農業協同組合近くの水準点は六一四・五メートルで、集落や農耕地のあるところの標高は、おおむね五六〇―七五〇メートルの間に存在しているといってもよい。その上内陸的な気象条件であるために農業振興の面では、大きな障害がともなっている。
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白州町の位置・面積・人口
白州町は山梨県の北西部、長野県との県境に位置する総面積一三七・五六平方キロメートルの町である。北は釜無川を境として小渕沢町に、東は長坂町に、南は大武川と中山山頂を境として武川村に、北から西にかけて長野県富士見町と長谷村に接している。
本町の人口は、合併時は六、六六九人であったが、其の後、昭和三十四年の台風災害復旧工事関係の従事者の居住した昭和三十五年の六、六七七人をピークに激減の一途をたどり、昭和六十年四月一日現在四、三八八人となった。全国的な農村人口の過疎化の傾向を如実に示している。
総面積一三七・五六平方キロメートルの中で山林が最も広く、その八八・九%を占めて一二二・三一平方キロメートル、
水田は三・七二平方キロメートル(二・七%)、
畑は二・七二平方キロメートル(二・○%)、
宅地は一・一八平方キロメートル(○・九%)、
原野その他七・六三平方キロメートル(五・五%)
となっていて、耕地の合計四・七%は県平均の一〇%の半分にも達していない。
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