四肢麻痺となった父

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お父さん


昨日は
娘と息子の3人で実家へ行ってきました。


父がまさかのケガで 四肢麻痺となってから丸2年が過ぎました。

今年で3度目のお正月です。



未だについつい 何でも出来ていたときのことを
私も何度も思い出しますが、現実は現実。。。




築46年の古い家ですが、介護用にリフォームし、

不便なことろがあるとまたリフォーム、徐々に手を加えて

1階は全てバリアフリーになりました。



昨日は 車いすでリビングにいました。

首から下は もう固まってしまって、リハビリしていても良くなることはありません。

首も安定はしていないので、車いすに座っていると頭も右側に傾いてくるので、

時々戻してあげないといけません。




まだ 仕事が決まらない息子のことをいつも心配している父。



上手く説明できない息子の代わりに、

「まだ仕事は決まってないけど、ちゃんとハローワークに通って、
ちゃんとしたところに就職したいと言ってるから、慌てて決めないようにゆっくり探してる。」

と言ったら、

聞き取れる父の言葉は半分くらいでしたが、安心したようでした。



3人で行けたことが 唯一の親孝行でしょうか…












お父さん、元気にしていますか



最近、めっきり口数が減ったと聞きました。


近いところに住んでいるのに、


なかなか会いにいけなくて…





思えば お父さんは


何十年も前


うつ病にかかっていた




うつ病なんて名前がなかった頃は


『きちがい』 『ノイローゼ』  『精神異常者』 というような差別用語が使われ、


何の対処もしてこなかった




あの頃の お父さんの気持ちは


今の私にはわかります。




今は、ケガで身体の自由を奪われました。




何でも作ってくれて、

何でも出来る器用な それでいて無口な

お父さんでした。



今住んでいるこの家も、


お父さんのおかげで 買うことが出来ました。



でも、全然会いに行くことが出来ません。






お父さん、

私は お父さんが動けなくなっても

生きてくれているだけで、




私は 充分嬉しいのです。








近くですが、約一ヶ月ぶりくらいに

実家へ行ってきました。



父親の顔を見に行ったけれど

父はうっすらと目をあけただけで 無表情で話もしなかった。



母に聞いたら

このところ、ずっとその状態が続いているらしい・・・



言葉もかなり聞き取りにくくなり、

父も 何度も伝わらないと 「もうええわ」

と、諦めてしまうらしく・・・




医者から、

この状態から 今後よくなることもなく

明日死ぬかもしれないし このまま10年生きるかもしれない

「今までも何度も覚悟はしてきただろうけれど、その時の覚悟はしておいてください。」

と言われたそうです・・・






父は

早く死にたいと 思っているのかな・・・・と、

思ってしまいました・・・



自分が後悔しないよう、父にも もう少し顔を見せよう

気になっている知人にも連絡をしよう


自ら命を絶たないよう

私に出来ることはとにかくやっておこう




「私がしっかりしないといけない」と、

その想いが強ければ 私はまだ何とかやっていけるのかな。









母は

介護疲れを感じ

姉夫婦との同居を 煩わしく話していました。


姪っ子も すでに家を出てしまっていました。

世間体を気にする母・・・・



でも姪っ子は、

「ちゃんと生活しとるし、ご飯も作っとるよ!」とラインがきました。




母が何とかやっていけるのは



唯一 仲の好い母の姉である

私の伯母がしょっちゅう来てくれることと、



母の愚痴を聞いてくれたり

父の顔を見に来てくれたりする ご近所さんがたくさんいて

いつも来てくれること。



本当に いつも誰かが家に来てくれていて 有り難いことです。



母の疲れも感じつつ、

息子のことも母には話しておかないといけないので、

私までもがくたばっていてはいけないと感じました・・・





宮沢賢治さんの『雨ニモマケズ』の詩は

作品として作られたものではなく

宮沢賢治さんが そうなりたいと 『綴られたもの』です。




私も、このように生きていけたら

少しは肩の荷がおりるのではないかと思うのですが





いろんな人、いろんな生き方があります。



だから

ただただ 人の為にあくせくする

それもまた良かれかと。。。




自分が最後の瞬間に

自分の人生 これでよかったと思える生き方を。









 
 
ある日、突然 四肢麻痺となって、1年yと4ヶ月。
 
第3、第4、第5頸髄を損傷してしまったにもかかわらず、命だけは助かった父。
 
 
 
築46年も経ってたけれど、「住み慣れた家がいい」という父の希望で、
 
大掛かりなリフォームして家に戻り、母と姉が介護にあたり、
 
昼間は時々ヘルパーさんがきてくれて、最近は少し安定した生活をしています。
 
 
 
自分で動かすことが出来なないので、こないだ行った時、
 
肘も曲げたりまっすぐにしたりもできないので、
 
庭に咲いた花を見て話をしながら、肘と手の関節をゆっくり動かしてリハビリしました。
 
 
 
普通なら全然問題なく元気だったはずの、72歳の父親。
 
自由を奪われてしまったけれど、今はそれを自分で受け入れているかのようで。
 
 
 
タバコもお酒もギャンブルもしない。
 
趣味は畑と花と庭と物づくりだった、頑固で物静か?カタブツの父親でしたが、
 
丸くなったなぁ・・・(笑)
 
 
 
こんなことにならなかったら、
 
父親の手を握ったりさすったり、
 
足の指をマッサージしたり、そんな小っ恥ずかしいことできなかったでしょうね・・・
 
 
 
今、介護用の車を改造して特別に作ってもらっていているそうなのですが、
 
それができたら、
 
「○○(私)の家に行ったら、お茶でも飲みたいなぁ」と、父が言ってたと母から聞きました。
 
 
 
 
これまで幾度となく、私の家に来ては、庭や家庭菜園の手入れなどをしてきてくれました。
 
でも、「お父さん、ご飯食べる?」と聞いても、
 
「ええわええわ」と。
 
「コーヒーでも飲むー?」っていうと、庭の縁台で時々飲んでいたくらい。。
 
 
家族だけど、今までそんな素直な言葉なんて聞いたことがなかった私たち。
 
 
 
2月の父の誕生日に娘とお祝い持って行ったら、
 
同居している家族は誰も祝ってくれずどこかへ出かけていて、
 
母だけが、「お父さん、今日は何の日やわかっとるか〜?」と聞いたら、
 
にっこり笑って、
 
母が 「おめでとう」と言ったら、「ありがとう」と。
 
 
 
「入院しとった時はみんなが祝ってくれたけど、今は誰もやなぁ…」
 
と笑いながら話していたところへ、私たちが行ったので、グッドタイミングでしたが。
 
 
 
 
 
たぶん、失ってしまうモノの方が多いのだと思うけれど、
 
その分、得られることもあるのだと…。
 
どんな生き方も、きっとそれほど悪くはない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2月19日(金)
父親の73歳の誕生日でした。

昨年は、病院で誕生日を迎えました。
今年は 家で誕生日を迎えることが出来ました。

仕事が休みだった娘と2人で、お祝いに行ってきまました。

一緒に住んでる家族は、何も言わず、それぞれ学校や仕事に行き、、
知ってるんだか、忘れてるんだか…

私たちが行くまで、



去年は病院で、スタッフの人たちがみんなで誕生日を祝ってくれたけど
今年はだぁーれもやな・・・・ と苦笑いしていたそうです。

途中 中1になる甥っ子が帰ってきたみたいだったけど、
部屋の前を通るのに、「ただいま」も言わず、さっさと2階へ行ったみたい。


娘と2人、行けてよかったです。










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